THE PRACTICE AND SCIENCE OF DRAWING
I
INTRODUCTION
序章
⚑ introduction:「序章」と訳しました。本書では第一章が序章となります。同じく、 conclusion「結び」が最終章(第21章)となっています。
1-1-1
The best things in an artist's work are so much a matter of intuition, that there is much to be said for the point of view that would altogether discourage intellectual inquiry into artistic phenomena on the part of the artist. Intuitions are shy things and apt to disappear if looked into too closely.
試訳 芸術家の作品の中に在って至高のものは、直観に大きく係わっている。これでは、芸術家の側で芸術現象を知的に探求しようするのをためらうのも無理はない。直観は用心深いもので、仔細に見ようとすると消えてしまうところがある。
⚑ 疑問点です。
○ an (artist's work) なのか (an artist)'s work なのか。訳は曖昧にしました。
○ intellectual inquiry on the part of the artist なのか artistic phenomena on the part of the artist なのか。前者で訳しました。
AI添削訳 芸術家の作品において最も優れたものは、直観によるところが大きい。そのため、芸術家が芸術現象を知的に探求しようとすることをむしろ戒めるべきだという見方にも、一理あると言える。直観は繊細なもので、あまりじっくり見つめようとすると消えてしまいがちだ。
Deepl訳 芸術家の作品における最高のものは、あまりにも直感に依拠しているため、芸術家自身が芸術現象に対して知的な探求を行うこと自体を、むしろ控えるべきだという見解にも一理ある。直感とは気難しいもので、あまりに深く詮索すれば消え去ってしまう傾向があるからだ。
Deepl訳 芸術家の作品における最高のものは、あまりにも直感に依拠しているため、芸術家自身が芸術現象に対して知的な探求を行うこと自体を、むしろ控えるべきだという見解にも一理ある。直感とは気難しいもので、あまりに深く詮索すれば消え去ってしまう傾向があるからだ。
修正後 芸術家の作品の最良の部分は、直観によるところが大きい。そのため、芸術家が自ら芸術現象を知的に探究するのは控えるべきだというのには一理ある。直観は繊細なもので、子細に見ようとすると消え去ってしまうところがあるからだ。
〈AIコメント〉
〇 疑問点について
• ⚑ an (artist's work) なのか (an artist)'s work なのか。訳は曖昧にしました。AI:文法的には後者(「ある芸術家の作品」)が自然ですが、意味的には前者(「芸術家という職の作品一般」)とも取れます。訳を曖昧にされたのは賢明な判断です。添削案では「芸術家の作品において」と、どちらにも対応できる形にしました。
• ⚑ intellectual inquiry on the part of the artist なのか artistic phenomena on the part of the artist なのか。前者で訳しました。AI:前者で「芸術家の側からの知的探求」と読むのが自然です。添削案もその解釈で訳しました。
• ⚑"Intuitions are shy things"は"Intuitions are shy"というのとどう違うか?AI:"things" を加えることで直観を一つの「存在・もの」として捉えています。擬人化というより、直観をある種の独立した存在として扱うニュアンスが出ます
〇 その他の変更点
• 「至高のもの」→「最も優れたもの」:best は「最善・最良」の意味で、「至高」はやや格調が高すぎる印象があります。
• 「ためらうのも無理はない」→「戒めるべきだという見方にも一理ある」:原文は "there is much to be said for the point of view that would altogether discourage"(〜を完全に思いとどまらせるような見方にも十分な根拠がある)で、「ためらう」より積極的に「やめさせようとする」ニュアンスです。
• 「用心深い」→「繊細な」:shy には「内気・繊細・捉えにくい」という意味があり、「用心深い」より「繊細」の方が直観の性質を表すのに適切かと思います。
• 「消えてしまうところがある」→「消えてしまいがちだ」:apt to は「〜しがちだ」という傾向を表す表現です。
⚑「芸術家の作品において最も優れたものは」の「おいて」が曖昧です。→ AI:「宿る」とするとニュアンスが伝わる。⚑ 「宿る」は少し文学的、当初の「芸術家の作品に在る」ではどうか AI:良いと思います。曖昧さが解消され、原文の "in" に忠実です。
1-1-2
And there is undoubtedly a danger that too much knowledge and training may supplant the natural intuitive feeling of a student, leaving only a cold knowledge of the means of expression in its place.
試訳 また知識や実技教育が度を過ぎるのは確かに危険である。生まれながら持っている直観的な感受性を奪い、代わりに表現手段に関する面白みのない知識しか残らない。
AI添削訳 また、知識や訓練が過度になると、学ぶ者が生まれながらに持つ直観的な感受性が失われ、代わりに表現手段についての冷たい知識だけが残るという危険が、確かにある。
deepl訳 そして、知識や訓練が過剰になると、生徒の自然な直感的な感覚が置き換えられ、その代わりに表現手段に関する冷たい知識だけが残ってしまうという危険が、間違いなく存在する。
修正後 また、知識や訓練が度を過ぎるのは確かに危険である。学ぶ者が生まれながらに持つ直観的な感受性を奪い、代わりに表現手段に関する知識だけしか残らない。
〈AIコメント〉
• 「実技教育」→「訓練」:training は「実技教育」とも訳せますが、ここでは「訓練」の方がシンプルで自然です。
• 「度を過ぎる」→「過度になると」:too much の訳として自然です。
• 「生まれながら持っている」→「生まれながらに持つ」:やや整理しました。
• 「奪い、代わりに〜しか残らない」:原文は supplant 〜 leaving only … という一文の構造です。訳文では二文に分けていますが、一文にまとめた方が原文の流れに近くなります。
• 「面白みのない」→「冷たい」:cold の訳として「面白みのない」は意訳です。「冷たい」「無味乾燥な」の方が原文に近いです。"a cold knowledge" は温かみや生気のない知識というニュアンスです。
• 「a student」:訳文では省略されていますが、「学ぶ者」として補うと意味が明確になります。
1-1-3
For the artist, if he has the right stuff in him, has a consciousness, in doing his best work, of something, as Ruskin has said, "not in him but through him." He has been, as it were, but the agent through which it has found expression.
試訳 芸術家に資質があるならば、すばらしい作品を制作をする中で、ある何かを意識する。それは、ラスキンも言っているように「芸術家の中にあるのではなく、芸術家の中を通っていく。」芸術家は、自分を通して現れてきたものの言わば代理人にすぎないのだ。
⚑ has been has found 何故現在完了なのか?
AI添削訳 芸術家に適切な資質があるならば、最高の作品を生み出す中で、ラスキンが言ったように「自分の中にあるのではなく、自分を通り抜けていく」何かを意識するものだ。芸術家は言わば、それが表現を見出すための媒介にすぎなかったのだ。
deepl訳 芸術家にとって、もし彼の中に真の資質があり、意識を持っているならば、最高の作品を生み出す際、ラスキンが言ったように、「彼の中にあるのではなく、彼を通して現れる」何かを自覚する。彼は、いわば、それが表現されるための単なる媒介に過ぎないのだ。
修正後 芸術家に資質があるならば、最高の作品を生み出す中で、ある何かを意識する。それは、ラスキンも言っているように「自分の中にあるのではなく、自分を通して現れる」。芸術家は、いわば、自分を通して現れてきたものの代理人にすぎないのだ。
〈AIコメント〉
〇 現在完了について: この文章が書かれた時代(1913年出版)の英語では、現在完了が「過去の事実の引用や一般的真実」を述べる際にも使われていました。現代英語では単純過去(said, was, found)を使うことが多いですが、当時の文体ではこのような使い方が自然でした。特に "as Ruskin has said" は「ラスキンがかつて言ったこととして現在も有効な言葉」というニュアンスです。
〇 修正点
• 「right stuff」→「適切な資質」:「right stuff」は「然るべき素質・資質」という意味で、「資質がある」だけでは "right" のニュアンスが抜けます。
• 「すばらしい作品」→「最高の作品」:best work は「最高の作品」が直訳です。
• 「制作をする中で」:「制作する中で」と「を」を一つ削る方が自然です。
• 引用部分:原文の引用は "not in him but through him" で、主語が省略されています。訳文の「芸術家の中にあるのではなく」より「自分の中にあるのではなく」の方がすっきりします。
• 「代理人」→「媒介」:agent はここでは「代理人」より「媒介・仲介者」のニュアンスに近いです。
• 「現れてきたもの」→「それが表現を見出すための」:原文の "through which it has found expression"(それが表現を見出した媒介)をより忠実に訳しました。
1-2-1
Talent can be described as "that which we have," and Genius as "that which has us." Now, although we may have little control over this power that "has us," and although it may be as well to abandon oneself unreservedly to its influence, there can be little doubt as to its being the business of the artist to see to it that his talent be so developed, that he {18} may prove a fit instrument for the expression of whatever it may be given him to express; while it must be left to his individual temperament to decide how far it is advisable to pursue any intellectual analysis of the elusive things that are the true matter of art.
試訳 才能は「己が左右するもの」、天才は「己を左右するもの」と言える。この「己を左右する」力は殆ど思いどおりにならない。むしろその影響に素直に身をまかせたほうがよいのかもしれない。しかし、自分の才能を伸ばそうとすること、これは疑いの余地なく芸術家の側でやるべきことである。そうすれば、どんなものを表現する場合であっても、それにふさわしいやり方でやってみることができる。一方、芸術の本質問題であるこの捉えどころのないものを知的に分析するのがどこまで望ましいことなのか、これは芸術家個人の気質によって決める必要がある。
AI添削訳 添削案 才能は「己が持つもの」、天才は「己を持つもの」と言える。さて、この「己を持つ」力はほとんど思い通りにならないし、その影響に無条件に身を委ねた方がよいのかもしれないが、芸術家が自分の才能を十分に伸ばすことに努めるべきであることは、ほぼ疑いの余地がない。そうすることで、表現するよう与えられたものが何であれ、その表現にふさわしい器となることができる。一方、芸術の真の問題である捉えどころのないものを知的に分析することがどこまで望ましいかは、芸術家個人の気質に委ねるほかない。
deeple訳 才能とは「我々が持つもの」であり、天才とは「我々を支配するもの」と表現できる。さて、この「我々を支配する」力に対して我々が及ぼせる影響はわずかかもしれないが、 また、その影響に無条件に身を委ねるのも一つの道ではあるが、芸術家の責務は、自らの才能を十分に開花させ、表現すべきものが何であれ、それを表現するのにふさわしい器となるよう努めることにあることは疑いようがない。一方で、芸術の真髄である捉えどころのない事象について、どこまで知的分析を追求すべきかについては、その個人の気質に委ねられるべきである。
AI添削訳 添削案 才能は「己が持つもの」、天才は「己を持つもの」と言える。さて、この「己を持つ」力はほとんど思い通りにならないし、その影響に無条件に身を委ねた方がよいのかもしれないが、芸術家が自分の才能を十分に伸ばすことに努めるべきであることは、ほぼ疑いの余地がない。そうすることで、表現するよう与えられたものが何であれ、その表現にふさわしい器となることができる。一方、芸術の真の問題である捉えどころのないものを知的に分析することがどこまで望ましいかは、芸術家個人の気質に委ねるほかない。
deeple訳 才能とは「我々が持つもの」であり、天才とは「我々を支配するもの」と表現できる。さて、この「我々を支配する」力に対して我々が及ぼせる影響はわずかかもしれないが、 また、その影響に無条件に身を委ねるのも一つの道ではあるが、芸術家の責務は、自らの才能を十分に開花させ、表現すべきものが何であれ、それを表現するのにふさわしい器となるよう努めることにあることは疑いようがない。一方で、芸術の真髄である捉えどころのない事象について、どこまで知的分析を追求すべきかについては、その個人の気質に委ねられるべきである。
修正後 才能は「己が支配するもの」、天才は「己を支配するもの」と言える。この「己を支配する」力は殆ど思いどおりにならない。むしろその影響に素直に身をまかせたほうがよいのかもしれない。しかし、自分の才能を伸ばそうとすること、これは疑いの余地なく芸術家の側で務めるべきことである。そうすることで、どんなものを表現する場合であっても、それを表現するのにふさわしい能力を身につけることができる。一方、芸術の真の問題であるこの捉えどころのないものを知的に分析するのがどこまで望ましいことなのか、これは芸術家個人の気質に任せるべきである。
〈AIコメント〉
〇修正点
• 「己が左右するもの」→「己が持つもの」:"that which we have" は「私たちが持つもの」が直訳です。「左右する」は意訳ですが、対比としては面白い工夫です。ただし "that which has us"(私たちを持つもの)との対比を活かすなら「持つ/持たれる」の方が対称性が明確です。
• "now" →「さて」:話題展開の接続詞として「さて」を補いました。
• "abandon oneself unreservedly"→「無条件に身を委ねる」:「素直に身をまかせる」より "unreservedly"(無条件に・遠慮なく)のニュアンスが出ます。
• 「やるべきことである」→「努めるべきである」:"see to it that" は「〜するよう気を配る・努める」という意味です。
• 「それにふさわしいやり方でやってみることができる」→「その表現にふさわしい器となることができる」:"prove a fit instrument"(ふさわしい器・道具であることを示す)を活かした訳です。
• 「本質問題」→「真の問題」:"the true matter of art" は「芸術の真の問題・本質」で、どちらも可ですが「真の問題」の方が直訳に近いです。
• 「決める必要がある」→「委ねるほかない」:"it must be left to" は「〜に委ねなければならない」という意味で、「決める必要がある」より「委ねる」の方が忠実です。
1-3-1
Provided the student realises this, and that art training can only deal with the perfecting of a means of expression and that the real matter of art lies above this and is beyond the scope of teaching, he cannot have too much of it.
試訳 学生たちがこのことを理解し、さらに、芸術の実技教育が扱えるのは、ただ表現手段の習熟に限られること、芸術の本質的な問題はこれを超えたところにあり、教えることなどできるものではないことを知っていさえすれば、学生がいくら芸術の教授を受けても差し障りはない。
⚑ this は何を指すか。先行する文を指すものとして訳しました。
⚑ it は何を指すか。teaching を指すものとして訳しました。
AI添削訳 学生がこのことを理解していれば、つまり、芸術の実技教育が扱えるのは表現手段を磨くことだけであり、芸術の真の問題はそれを超えたところにあって教育の範囲外であることを理解していれば、実技教育はいくら受けても受けすぎということはない。
⚑ it は何を指すか。teaching を指すものとして訳しました。
AI添削訳 学生がこのことを理解していれば、つまり、芸術の実技教育が扱えるのは表現手段を磨くことだけであり、芸術の真の問題はそれを超えたところにあって教育の範囲外であることを理解していれば、実技教育はいくら受けても受けすぎということはない。
deeple訳 学生が、芸術の修練とはあくまで表現手段を磨くことに過ぎず、芸術の本質はそれを超えたところにあり、教育の範疇外にあるということを理解していれば、その修練はいくら行ってもやり過ぎということはない。
修正後 学生たちがこのことを理解し、さらに、芸術の実技教育が扱えるのは、ただ表現手段を磨くことにすぎず、芸術の真の問題はそれを超えたところにあって、教育の範囲外であることを知っていさえすれば、実技教育をいくら受けても受けすぎるということはない。
〈AIコメント〉
〇疑問点について
"this" について: 前段落全体の内容、つまり「才能と天才の違い、芸術家が自分の才能を伸ばすべきこと、知的分析の限界」を指していると読むのが自然です。訳文の解釈は正しいと思います。
"it" について: "he cannot have too much of it" の "it" は "art training"(芸術の実技教育・修練)を指すと読むのが自然です。"teaching" ではなく "art training" です。DeepLの「その修練はいくら行ってもやり過ぎということはない」がこれを正確に捉えています。
〇修正点
• 「学生たち」→「学生」:原文は "the student" で単数です
• "provided" →「理解していれば」:"provided" は「〜という条件のもとで」という意味で、「〜さえすれば」「〜していれば」が自然です
• 「習熟」→「磨くこと」:"perfecting" は「完成させること・磨くこと」で、「習熟」よりやや積極的なニュアンスです
• 「教えることなどできるものではない」→「教育の範囲外である」:"beyond the scope of teaching" は「教育の範囲を超えている」が直訳でシンプルです
• 「差し障りはない」→「受けすぎということはない」:"cannot have too much of it" は「いくらあっても多すぎることはない」という慣用表現で、「差し障りはない」より積極的なニュアンスです
• "this" の二度目の使用:"lies above this" の "this" は "art training" を指すと読めます。添削案では「それを超えた」としました
1-3-2
For although he must ever be a child before the influences that move him, if it is not with the knowledge of the grown man that he takes off his coat and approaches the craft of painting or drawing, he will be poorly equipped to make them a means of conveying to others in adequate form the things he may wish to express. Great things are only done in art when the creative instinct of the artist has a well-organised executive faculty at its disposal.
試訳 なぜなら、自分を感動させるものの前にあっては、いつまでも子供でなければならないが、絵画と素描の技能を習得しようと本気で取り組むには、大人の知識が不可欠だからである。それがあって初めて、絵画や素描を用いて表現したいと思うものを適切な形で人に伝えることが可能となる。芸術の世界で優れた仕事が生まれるのは、芸術家の創造的な本能が、しっかりとした技量を意のままにしているときに限られる。
AI添削訳 なぜなら、自分を感動させるものの前ではいつまでも子供でなければならないが、絵画や素描の技芸に本腰を入れて取り組むにあたっては、大人の知識をもって臨まなければ、表現したいものを適切な形で人に伝える手段として絵画や素描を使いこなす力が十分に備わらないからである。芸術において優れた仕事が生まれるのは、芸術家の創造的本能が、よく鍛えられた実行能力を自由に使えるときに限られる。
deepl訳 なぜなら、彼を動かす様々な影響の前では、彼はいつまでも子供でなければならないとしても、もし大人のような知識を持たずに絵画やデッサンの技法に取り組み、コートを脱いでその世界に踏み込むのであれば、彼が表現したいことを適切な形で他者に伝える手段として、それらを十分に活用することはできないだろう。芸術において偉大な成果が生まれるのは、芸術家の創造的本能が、よく組織された実行能力を自由に駆使できるときだけである。
deepl訳 なぜなら、彼を動かす様々な影響の前では、彼はいつまでも子供でなければならないとしても、もし大人のような知識を持たずに絵画やデッサンの技法に取り組み、コートを脱いでその世界に踏み込むのであれば、彼が表現したいことを適切な形で他者に伝える手段として、それらを十分に活用することはできないだろう。芸術において偉大な成果が生まれるのは、芸術家の創造的本能が、よく組織された実行能力を自由に駆使できるときだけである。
修正後 なぜなら、自分を感動させるものの前にあってはいつまでも子供でなければならないが、絵画と素描の技術を習得しようと本気で取り組むには、大人の知識が不可欠だからである。それがあって初めて、絵画や素描を用いて表現したいと思うものを適切な形で人に伝えることが可能となる。芸術の世界において優れた仕事が生まれるのは、芸術家の創造的な本能が、しっかりとした表現の技量を意のままにしているときに限られる。
⚑ take off one’s coat (仕事などに)真剣に取り組む⦅to ...⦆『ランダムハウス英和大辞典
⚑ 初版:the influence that moves him
⚑ a well-organised executive faculty 「しっかりとした技量」意訳しました。
〈AIコメント〉
〇疑問点について
a well-organised executive facultyについて: "executive" は「実行する・遂行する」、"faculty" は「能力・機能」、"well-organised" は「よく整備された・体系立った」という意味です。直訳すると「よく整備された実行能力」で、「頭の中にあるものを実際に形にする技術的能力」というニュアンスです。「しっかりとした技量」は意訳ですが意味は通じています。「よく鍛えられた表現能力」や「十分に整備された実技能力」なども候補になります。
〇修正点
• 「技能を習得しようと」→「技芸に本腰を入れて取り組む」:"takes off his coat and approaches the craft" は「上着を脱いで技芸に取り掛かる」つまり「本腰を入れて取り組む」という意味で、「技能を習得しようと」より行動的なニュアンスです。"craft" は「技芸・職人的技術」で「技能」より広い意味があります
• 「大人の知識が不可欠」→「大人の知識をもって臨まなければ」:原文は "if it is not with the knowledge of the grown man that he takes off his coat" という強調構文で、「大人の知識をもって取り組まなければ」という条件を強調しています
• 文の構造:原文の第一文は一文ですが、訳文では二文に分けています。添削案では一文にまとめました
• 「しっかりとした技量」→「よく鍛えられた実行能力」:"a well-organised executive faculty" をより忠実に訳しました。「実行能力」は頭の中のイメージを実際の作品として形にする能力というニュアンスです
• 「意のままにしている」→「自由に使える」:"at its disposal"(自由に使える状態にある)の訳として自然です
〇決定訳について
「しっかりとした表現の技量」は "a well-organised executive faculty" の訳として自然で、「実行能力」より絵画・素描の文脈に合っています。
1-4-1
Of the two divisions into which the technical study of painting can be divided, namely Form and Colour, we are concerned in this book with Form alone. But before proceeding to our immediate subject something should be said as to the nature of art generally, not with the ambition of arriving at any final result in a short chapter, but merely in order to give an idea of the point of view from which the following pages are written, so that misunderstandings may be avoided.
試訳 絵の技法の学習は二つの部門に分けられる。すなわち形と色である。そのうち本書では形のみ扱う。しかし、本題に入る前に、芸術の本質について大まかに何かしら話しておかねばならない。短い章で何らかの結論を出そうとなどという大それたことではない、本書がどのような視点から書かれているのか、誤解を避けるために話しておきたいのである。⚑ before proceeding to our immediate subject「本題に入る前に」deepl訳 お見事!
⛾ ここで「リズム」が唐突に登場します。この先何度も使われます。
AI添削訳 添削案 絵画の技法の学習は二つの部門に分けられる。すなわち形と色である。本書ではそのうち形のみを扱う。しかし本題に入る前に、芸術の本質について概括的に述べておく必要がある。短い章で何らかの結論に達しようという大それた意図ではなく、以降のページがどのような視点から書かれているかについて読者に見当をつけてもらい、誤解を避けるためである。
Deepl訳(参考) 絵画の技術的研究は「形態」と「色彩」の二分野に大別されるが、本書では「形態」のみに焦点を当てる。しかし、本題に入る前に、芸術の性質全般について少し触れておく必要がある。これは、短い章の中で何らかの最終的な結論を導き出そうという野心からではなく、単に、誤解を避けるために、本書がどのような視点から書かれているのかを理解してもらうためである。
修正後 絵画の技法の学習は二つの部門に分けられる。すなわち形と色である。本書ではそのうち形のみを扱う。しかし、本題に入る前に、芸術の本質について大まかに話しておかねばならないことがある。短い章で何らかの結論を出そうとなどという大それた意図ではない。本書がどのような視点から書かれているのか、読者に見当をつけてもらい、誤解を避けるためである。
〈AIコメント〉
• 「絵の」→「絵画の」:"painting" は「絵画」が適切です
• 「そのうち本書では」→「本書ではそのうち」:語順を整えました
• 「大まかに何かしら話しておかねばならない」→「概括的に述べておく必要がある」:"something should be said as to the nature of art generally" は「芸術の本質について概括的に述べる必要がある」が自然です。"generally" は「大まかに」でも可ですが「概括的に」の方が文体に合います
• 「大それたことではない」→「大それた意図ではなく」:"not with the ambition of …" は「〜という野心・意図ではなく」で、「大それた意図ではなく」が自然です
• 「本書がどのような視点から書かれているのか」→「以降のページがどのような視点から書かれているかについて読者に見当をつけてもらい」:"to give an idea of the point of view from which the following pages are written" は「以降のページの視点について読者に見当をつけてもらう」という意味で、"the following pages"(以降のページ)を活かしました
1-5-1
The variety of definitions that exist justifies some inquiry. The following are a few that come to mind:"Art is nature expressed through a personality."{19} But what of architecture? Or music? Then there is Morris's
"Art is the expression of pleasure in work."試訳 いろいろな定義があるので、少し検討してみる。以下いくつか思いついたものを挙げる。
「芸術は個性をとおして表現された自然である」しかし建築はどうだろう、音楽は?次はモリスの定義、
「芸術は労働の喜びの表現である」
AI添削訳 芸術の定義はさまざまであり、少し検討してみる価値がある。思いつくものをいくつか挙げてみよう。
「芸術とは個性を通して表現された自然である」
しかし建築はどうか。音楽は?次はモリスの言葉、
「芸術とは労働における喜びの表現である」
Deepl訳 これほど多様な定義が存在すること自体、検討の余地があると言えるだろう。以下に、思い浮かぶものをいくつか挙げてみる。
「芸術とは、個性を通じて表現された自然である。」
{19} しかし、建築はどうだろうか? あるいは音楽は? また、モリスは次のように述べている。
「芸術とは、仕事における喜びの表現である。」
「芸術とは個性を通して表現された自然である」
しかし建築はどうか。音楽は?次はモリスの言葉、
「芸術とは労働における喜びの表現である」
Deepl訳 これほど多様な定義が存在すること自体、検討の余地があると言えるだろう。以下に、思い浮かぶものをいくつか挙げてみる。
「芸術とは、個性を通じて表現された自然である。」
{19} しかし、建築はどうだろうか? あるいは音楽は? また、モリスは次のように述べている。
「芸術とは、仕事における喜びの表現である。」
修正後 芸術にはいろいろな定義があるので、少し検討してみる。以下いくつか思いつくものを挙げる。
「芸術とは個性をとおして表現された自然である」しかし建築はどうだろうか。音楽は?次はモリスの言葉、
「芸術は労働の喜びの表現である」
〈AIコメント〉
• 「いろいろな定義があるので」→「芸術の定義はさまざまであり」:"The variety of definitions that exist" は「存在する定義の多様さ」が直訳で、何についての定義かを明示した方が自然です
• 「少し検討してみる」→「少し検討してみる価値がある」:"justifies some inquiry" は「ある程度の検討を正当化する」つまり「検討してみる価値がある」という意味です
• 「以下いくつか思いついたものを挙げる」→「思いつくものをいくつか挙げてみよう」:"The following are a few that come to mind" は「思いつくものをいくつか」が自然です
• 「芸術は」→「芸術とは」:定義を述べる文では「〜とは」の方が定義らしい響きになります
• 「しかし建築はどうだろう、」→「しかし建築はどうか。」:読点より句点の方が自然です
「次はモリスの定義、」→「次はモリスの言葉、」:原文は "Then there is Morris's" で「定義」という言葉はありません
• 「労働の喜び」→「労働における喜び」:"pleasure in work" は「労働における喜び」が直訳です。労働の中にある喜び、労働そのものの中に内在する喜び、というニュアンスです。
⚑ 「労働における喜び」としても「労働そのものの中に内在する喜び」というニュアンスまで表現できないのではないか→AI:おっしゃる通りです。むしろ「労働の喜び」の方が短くて自然な日本語です。
• Morris について:ウィリアム・モリス(William Morris、1834-1896)、英国の工芸家・デザイナーで「アーツ・アンド・クラフツ運動」の中心人物です。「労働における喜び」は彼の思想の核心でもあります
決定訳 芸術にはいろいろな定義があるので、少し検討してみる。以下いくつか思いつくものを挙げる。
「芸術とは個性をとおして表現された自然である」しかし建築はどうだろうか。音楽は?次はモリスの言葉、
「芸術は労働の喜びの表現である」
1-5-2
But this does not apply to music and poetry. Andrew Lang's
"Everything which we distinguish from nature"seems too broad to catch hold of, while Tolstoy's
"An action by means of which one man, having experienced a feeling, intentionally transmits it to others"
is nearer the truth, and covers all the arts, but seems, from its omitting any mention of rhythm, very inadequate.
試訳 しかし、これは音楽や詩にはあてはまらない。アンドリュー・ラングの定義、「自然から区別できるものすべてである」これでは大まかすぎて捉えどころがないと思う。一方トルストイの定義、
「何かを感じ、意図的にそれを他者に伝えようとする行為である」こちらの方がずっと真実に近く、すべての芸術を含んでいる。が、リズムについて触れていない。妥当とは言い難いのではないか。
⛾ ここで「リズム」が唐突に登場します。この先何度も使われます。
AI添削訳 しかし、これは音楽や詩にはあてはまらない。アンドリュー・ラングの定義、
「自然と区別されるものすべて」
は大まかすぎて捉えどころがない。一方トルストイの定義、
「ある感情を経験した人が、意図的にそれを他者に伝えようとする行為」
の方が真実に近く、すべての芸術を包括しているが、リズムについて一切触れていない点で、非常に不十分に思われる。
Deepl訳 しかし、これは音楽や詩には当てはまらない。アンドルー・ラングの
「自然とは区別されるあらゆるもの」
という定義は、あまりにも広範すぎて捉えどころがないように思われる。一方、トルストイの
「ある人が感情を経験し、それを意図的に他者に伝える行為」
という定義は、真実に近く、あらゆる芸術を網羅しているが、リズムについて一切言及していない点から、非常に不十分であるように思われる。
修正後 しかし、これは音楽や詩にはあてはまらない。アンドリュー・ラングの定義、
「自然から区別できるものすべて」
では大まかすぎて捉えどころがないと思われる。一方トルストイの定義、
「ある感情を経験した人が、意図的にそれを他者に伝えようとする行為」
こちらの方がずっと真実に近く、すべての芸術を含んでいる。が、「リズム」について触れていない。妥当とは言い難いのではないか。
〈AIコメント〉
• 「自然から区別できるものすべてである」→「自然と区別されるものすべて」:"Everything which we distinguish from nature" は「私たちが自然と区別するものすべて」が直訳です。引用部分なので簡潔にまとめました
• 「これでは大まかすぎて〜と思う」→「は大まかすぎて〜」:著者の評価として続ける方が流れが自然です
• トルストイの引用:原文は "one man, having experienced a feeling" で「ある感情を経験した人が」という部分が訳文では省略されています。トルストイの定義の核心部分なので補った方が良いと思います
• 「ずっと真実に近く」→「真実に近く」:"nearer the truth" の "nearer" は比較級で「より近い」ですが、「ずっと」は原文にないニュアンスです
• 「妥当とは言い難いのではないか」→「非常に不十分に思われる」:"seems very inadequate" は「非常に不十分に思われる」が直訳です。訳文は柔らかすぎる印象があります
1-6-1
試訳 ところで、周囲の事物は感覚をとおして意識にのぼり、思考と感情の世界に働きかけ、これが現実世界をかたちづくる。思考と感情は密接に結びついていて、知覚されたものは、とくに初めて意識にのぼる時、多くの場合なんらかの感情をともなう。
⚑ now:この now はどう訳したらよいのか。「ところで」としましたが、収まりが悪い。
AI添削訳 さて、生の事実は感覚を通して内なる意識に伝えられ、思考と感情の世界を刺激する。この世界こそが私たちの現実の生をかたちづくるものである。思考と感情は非常に密接に結びついており、私たちの知覚のうち、特に初めて意識にのぼる瞬間に、何らかの感情をともなわないものはほとんどない。
Deepl訳 現実の事象は、私たちの感覚を通じて内なる意識へと伝えられ、私たちの真の生活を構成する思考と感情の世界を刺激する。思考と感情は極めて密接に結びついており、特にそれが初めて心に浮かぶ瞬間においては、何らかの感情を伴わない精神的な知覚などほとんどない。
修正後 さて、周囲の事物は感覚をとおして内なる意識にのぼり、思考と感情の世界に働きかけ、これが現実世界をかたちづくる。思考と感情は密接に結びついていて、このように我々が知覚したものは、とくに初めて意識にのぼる時、多くの場合なんらかの感情をともなう。
〈AIコメント〉
• "the facts of life"→「生の事実」:「周囲の事物」は意訳です。"the facts of life" は「生の事実・人生の現実」で、周囲の事物より広い概念です
⚑ 「生の事実」では抽象的すぎないか。ここでは視覚の世界のことなので「周囲の事物」がいいのでは →AI:おっしゃる通りだと思います。
• "the consciousness within us"→「内なる意識」:"within us"(私たちの内にある)を活かしました
• "stimulate"→「刺激する」:訳文の「働きかける」でも可ですが「刺激する」の方が原文に近いです
• "that constitutes our real life"→「この世界こそが私たちの現実の生をかたちづくるものである」:訳文では「これが現実世界をかたちづくる」と訳していますが、"our real life"は「現実世界」より「私たちの現実の生」が正確です
• 最終文の構造:"few of our mental perceptions … being unaccompanied by some feeling" は「感情をともなわない知覚はほとんどない」という否定表現です。訳文の「多くの場合なんらかの感情をともなう」は肯定的に言い換えていますが、原文の否定表現を活かした方が忠実です
⚑ この文の構造は二重否定だと思われますが、肯定文で訳したほうが分かりやすいこともあるのではないか→AI:翻訳では原文の構造より読者への伝わりやすさを優先すべき場面があり、二重否定の肯定文への変換はその典型例の一つです。
1-6-2
But there is this general division to be made, on one extreme of which is what we call pure intellect, and on the other pure feeling or emotion. The arts, I take it, are a means of giving expression to the emotional side of this mental activity, intimately related as it often is to the more purely intellectual side.
試訳 とは言え、一般的な区分があって、その一方の極は純粋な知性、もう一方の極は純粋な感情または情動と言われるものである。芸術は、私の考えでは、この精神活動の感情の方を表現する手段であり、多くの場合より純粋な知性的面とも密接に結びついていると思う。AI添削訳 しかし、一般的な区分として、一方の極に純粋な知性があり、もう一方の極に純粋な感情あるいは情動がある。芸術とは、私が思うに、この精神活動の感情的な側面を表現する手段であり、その感情的な側面はしばしばより純粋に知性的な側面とも密接に結びついている。
Deepl訳 しかし、ここには大まかな区分があり、その一端にはいわゆる「純粋な知性」があり、もう一端には「純粋な感情」あるいは「情動」がある。芸術とは、この精神活動の感情的な側面を表現する手段であり、それは往々にして、より純粋な知的な側面と密接に関連しているものだと私は考えている。
修正後 しかし、一般的な区分として、一方の極に純粋な知性があり、もう一方の極に純粋な感情あるいは情動がある。芸術とは、私が思うに、この精神活動の感情的な側面を表現する手段であり、その感情的な側面はしばしばより純粋に知性的な側面とも密接に結びついている。
⚑AI訳そのままです。
〈AIコメント〉
• 「とは言え」→「しかし」:"But" は単純な逆接で「しかし」が自然です。「とは言え」はやや譲歩のニュアンスが強くなります
• 「その一方の極は〜と言われるものである」→「一方の極に〜がある」:構造をシンプルにしました。"what we call" は「いわゆる」と訳すこともできますが、省いても意味は通じます
• 「感情の方を」→「感情的な側面を」:"the emotional side" は「感情的な側面」が直訳で、「感情の方」よりやや明確です
• 「〜と思う」の重複:訳文では「私の考えでは」と「〜と思う」が重複しています。"I take it" は「私が思うに」一箇所で十分です
• "intimately related as it often is to the more purely intellectual side":この部分は "it" が "the emotional side" を指し、「その感情的な側面はしばしばより純粋に知性的な側面とも密接に結びついている」という意味です。訳文では主語が曖昧になっています
⚑一つ前の文で「思考と感情」、この文で「知性」と「感情」が対比されている。これらはどのような関係か →AI:前の文の「思考」が今の文の「知性」に対応し、前の文の「感情」が今の文の「感情・情動」に対応しています。前の文では「知覚のプロセス」を説明しているので動的な「思考」を使い、今の文では精神活動の「両極」という構造を説明しているので能力・資質としての「知性」を使ったと考えられます。
1-6-3
The more sensual side of this feeling is perhaps its lowest, while the feelings associated with the intelligence, the little sensitivenesses of perception that escape pure intellect, are possibly its noblest experiences.
⚑ intelligenceと intellectの違いは?intelligenceを「知性のひらめき」と訳してみました。
⚑ sensitivenesses:意味は?「感じられるもの」と訳してみました。
⚑ the little sensitivenesses of perception that ...をthe intelligenceの同格(説明)と解して訳してみました。
試訳 この感情のうち官能的な側に大きく振れたものはおそらく最低だろう。一方、知性のひらめき、つまり純粋な知性からもれ出てほのかに感じられるもの、から来る感情は恐らく最も高貴だろう。⚑ sensitivenesses:意味は?「感じられるもの」と訳してみました。
⚑ the little sensitivenesses of perception that ...をthe intelligenceの同格(説明)と解して訳してみました。
AI添削訳 この感情のうち官能的な側面はおそらく最も低いものであり、一方、知性と結びついた感情、すなわち純粋な知性からこぼれ落ちるような知覚の細やかな感受性は、おそらく最も高貴な経験である。
Deepl訳 この感覚の官能的な側面は、おそらくその最も低俗な部分であり、一方で知性に関連する感情、すなわち純粋な知性では捉えきれない知覚の微細な感性は、おそらくその最も高貴な体験である。
修正後 この感情の官能的な側面は、おそらくその最も低俗な部分であり、一方で知性に結びついた感情、すなわち純粋な知性では捉えきれない知覚の微細な感性は、おそらくその最も高貴な体験である。
⚑ Deepl訳を基にしました。
〈AIコメント〉
〇まず疑問点にお答えします。
• "intelligence" と "intellect" の違い:"intellect":純粋な論理的・分析的思考能力。冷静で客観的な知的能力。"intelligence":より広い意味での知的働き。感受性や直観も含む、生きた知的活動。この文脈では "pure intellect"(純粋な知性)が冷たい論理的思考を指すのに対し、"intelligence" はより柔軟で感受性を含む知的働きを指していると思われます。「知性のひらめき」は少し意訳ですが方向性は合っています。
• "sensitivenesses" について:"sensitiveness" は「敏感さ・感受性」で、その複数形です。「純粋な知性からはこぼれ落ちてしまうような、細やかな感受性」というニュアンスです。「感じられるもの」は少し漠然としています。
• 構文について:"the little sensitivenesses of perception that escape pure intellect" はおっしゃる通り "the feelings associated with the intelligence" の説明・言い換えと読むのが自然です。良い解釈だと思います。
〇修正点
• 「官能的な側に大きく振れたもの」→「官能的な側面」:"the more sensual side" は「より官能的な側面」で、「大きく振れたもの」は原文にないニュアンスです
• 「知性のひらめき」→「知性と結びついた感情」:"the feelings associated with the intelligence" は「知性と結びついた感情」が直訳です
• 「もれ出てほのかに感じられるもの」→「こぼれ落ちるような知覚の細やかな感受性」:"the little sensitivenesses of perception that escape pure intellect" は「純粋な知性からこぼれ落ちる知覚の細やかな感受性」が直訳に近いです
• 「最も高貴なだろう」→「最も高貴な経験である」:"its noblest experiences" の "experiences"(経験)を活かしました
• "its" について:"its" は "this feeling"(この感情)を指しています。「感情の中で最も高貴な経験」という意味です
Pure intellect seeks to construct from the facts brought to our consciousness by the senses, an accurately {20} measured world of phenomena, uncoloured by the human equation in each of us.
⚑ human equation 偏見、先入観
試訳 純粋な知性は、感覚によって意識にのぼった事実を基に、個々人の先入観に歪められことのない、正確に測定された現象の世界を構築しようとする。AI添削訳 純粋な知性は、感覚によって意識にもたらされた事実から、私たち個々人の先入観に色づけされることのない、正確に計測された現象の世界を構築しようとする。
Deepl訳 純粋な知性は、感覚によって意識に届けられた事実から、私たち一人ひとりの人間的な要素に色づけられることのない、正確に{20}測定された現象の世界を構築しようと試みる。
修正後 純粋な知性は、感覚によって意識にもたらされた事実から、個々人の先入観に歪められることのない、正確に計測された現象の世界を構築しようとする。
〈AIコメント〉
• 「意識にのぼった」→「意識にもたらされた」:"brought to" は受動的なニュアンスなので「もたらされた」がより忠実です
• 「歪められることのない」→「染まることのない」:"uncoloured by" は「染まる」が自然な訳です
• 「個々人の」→「私たち一人ひとりの」:"in each of us" は「私たち一人ひとりの中にある」という意味で、「個々人の」でも可ですが「私たち一人ひとりの」の方が文体に合います
• "human equation":天文学用語由来で「観測者による主観的なフィルター」の意味です。「先入観」は実用的な訳です
1-7-2
試訳 純粋な知性は、人間の見方とは別の視点を創り出そうとする。その視点は、より安定し正確であり、常に移ろう生身の人間に影響されることはない。それゆえ知性は機具を作り出し、人間の感覚によって捉えたものを測定する。機具で記録する方が、人間が補助なしで観察するより正確だからである。
AI添削訳 純粋な知性は、人間の立場を超えた視点を作り出そうとする。それはより安定して正確であり、絶えず移ろう人間の生の流れに左右されることがない。それゆえ知性は機械的な器具を発明し、感覚による知覚を測定しようとする。器具による記録の方が、補助なしの人間の観察より正確だからである。
Deepl訳 それは、人間の視点の外側に、人間の生活という絶えず変化する流れの影響を受けない、より安定的で正確な視点を作り出そうとするものである。そのため、人間の感覚による知覚の測定を行うための機械的な装置を考案する。なぜなら、それらの記録は、人間の肉眼による観察よりも正確だからである。
修正後 純粋な知性は、人間の見方とは別の視点を創り出そうとする。それはより安定し正確であり、常に移ろう生身の人間に影響されることはない。それゆえ知性は機械的な装置を作り出し、人間の感覚によって捉えたものを測定する。その方が人間が補助なしで観察するより正確だからである。
〈AIコメント〉
• 「人間の見方とは別の視点」→「人間の立場を超えた視点」:"outside the human standpoint" は「人間の立場の外」が直訳です ⚑ 「人間の立場」では抽象的。ここは人間の見る働きについて述べている →AI:おっしゃる通りです
• 「常に移ろう生身の人間」→「絶えず移ろう人間の生の流れ」:"the ever-changing current of human life" の "current"(流れ)が訳文では省かれています ⚑ ここは器具を使わない素手のことをいっているのではないか →AI:「生身の人間」という試訳の方が具体的で伝わりやすいかもしれません。
• 「機具」→「機械的な器具」:"mechanical instruments" の "mechanical" が訳文では省かれています ⚑ Deeplにならって「機械的な装置」にしました
• 「機具で記録する方が」→「器具による記録の方が」:"their records" は器具による記録を指します ⚑ "their records"→「その方が」にしました。 →AI:繰り返しを避けた簡潔な処理で、日本語として読みやすくなっています
1-8-1
But while in science observation is made much more effective by the use of mechanical instruments in registering facts, the facts with which art deals, being those of feeling, can only be recorded by the feeling instrument—man, and are entirely missed by any mechanically devised substitutes.
試訳 科学の世界では、事実を記録するのに機具を使うことではるかに観測の効果を上げているのに対して、芸術が扱うのは感情でとらえる事象である。これを記録できるのは感情の器具である人間だけであり、機械的代替物では全く見過ごされてしまう。AI添削訳 しかし科学においては機械的な装置を使うことで事実の観測がはるかに効果的になるのに対して、芸術が扱う事実は感情によって捉えられるものであり、感情という器具、すなわち人間によってのみ記録できる。機械的に考案された代替物では、それは完全に捉えられない。
Deepl訳 しかし、科学においては、事実を記録するための機械的な器具を用いることで観察がはるかに効率的になるのに対し、芸術が扱う事実は感情に属するものであるため、それらは感情という「器具」――すなわち人間――によってのみ記録され、機械的に考案された代用品では完全に捉えきれないのである。
修正後 しかし科学においては機械的な装置を使うことで事実の観測がはるかに効果的になるのに対して、芸術が扱う事実は感情によって捉えられるものであり、感情という装置、すなわち人間によってのみ記録できる。機械的な代用品で捉えらることなど全くできないのである。
修正後 しかし科学においては機械的な装置を使うことで事実の観測がはるかに効果的になるのに対して、芸術が扱う事実は感情によって捉えられるものであり、感情という装置、すなわち人間によってのみ記録できる。機械的な代用品で捉えらることなど全くできないのである。
〈AIコメント〉
• 「機具」→「機械的な装置」:前段落で統一した訳語に合わせました
• 「感情でとらえる事象」→「感情によって捉えられるもの」:"the facts with which art deals, being those of feeling" は「芸術が扱う事実は感情によるもの」が直訳です
• "the feeling instrument—man":ダッシュで "man" を同格として示しています。「感情という器具、すなわち人間」と訳しました。試訳の「感情の器具である人間」でも可ですが、ダッシュの強調を活かしました
• 「見過ごされてしまう」→「捉えられない」:"missed" は「見逃される・捉えられない」で、「見過ごされる」でも可ですが「捉えられない」の方が簡潔です
1-9-1
The artistic intelligence is not interested in things from this standpoint of mechanical accuracy, but in the effect of observation on the living consciousness—the sentient individual in each of us.
試訳 芸術的知性は、機械的に正確な見方によって得られるものには興味をしめさない。観察が 一人一人の生身の意識 、つまり感覚する個人、に与える影響に関心が向かう。
⚑ the living consciousness、 the sentient individual 訳しづらい。上記のように訳してみました。
⚑ the observations on butterfliesチョウの観察記録.『ジーニアス英和大辞典
AI添削訳 芸術的知性は、機械的な正確さという観点から物事を見ることには関心がなく、観察が生きた意識、すなわち私たち一人ひとりの中にある感覚する個人に与える影響に関心を持つ。
Deepl訳 芸術的知性は、機械的な正確さという観点から物事に興味を持つのではなく、観察が「生きた意識」――すなわち私たち一人ひとりの内に宿る感覚を持つ個人――に与える影響に関心を抱いている。
修正後 芸術的知性は、機械的な正確さという視点から捉えた物事には関心がない。物を見ることが「人間の意識」―すなわち私たち個々人の内なる感覚する個人―に与える影響に関心がむかう。
修正後 芸術的知性は、機械的な正確さという視点から捉えた物事には関心がない。物を見ることが「人間の意識」―すなわち私たち個々人の内なる感覚する個人―に与える影響に関心がむかう。
〈AIコメント〉
• 「機械的に正確な見方によって得られるもの」→「機械的な正確さという観点から物事を見ること」:"from this standpoint of mechanical accuracy" は「機械的な正確さという観点から」が直訳です
• 「生身の意識」→「生きた意識」:"the living consciousness" は「生きた意識」が直訳です。⚑ 「生きた意識」は分かりづらい。→AI:「人間の意識」がシンプルで分かりやすい。
• "the sentient individual in each of us":「私たち一人ひとりの中にある感覚する個人」が直訳です。試訳の「感覚する個人」は良い訳です
• ダッシュの処理:"the living consciousness—the sentient individual" のダッシュは同格を示しています。「すなわち」で受けるのが自然です
• "the effect of observation on the living consciousness" は二通りの読み方ができます:
解釈1→ "on" は "effect" にかかる 解釈2→ "on" は "observation" にかかる 文脈から考えると、解釈1の方が自然だと思います
1-9-2
The same fact accurately portrayed by a number of artistic intelligences should be different in each case, whereas the same fact accurately expressed by a number of scientific intelligences should be the same.
試訳 同一のものを多くの芸術的知性によって正確に描けば、それぞれが異なるだろう。一方、多くの科学的知性によって正確に表された場合、同一の事実は同じになるはずである。
AI添削訳 同一の事実が多くの芸術的知性によって正確に描かれれば、それぞれの場合で異なるものになるだろう。一方、同一の事実が多くの科学的知性によって正確に表現されれば、どれも同じになるはずである。
Deepl訳 多くの芸術的才能によって正確に描かれた同一の事実は、それぞれ異なるものとなるはずだが、多くの科学的才能によって正確に表現された同一の事実は、同じものであるはずだ。
修正後 同一の事実を多くの芸術的知性によって正確に描けば、それぞれが異なるだろう。一方、同一の事実が多くの科学的知性によって正確に表された場合、どれも同じになるはずである。
〈AIコメント〉
• 「同一のもの」→「同一の事実」:試訳の前半では "the same fact" を「同一のもの」と訳していますが、後半では「同一の事実」と訳しており統一されていません
• 「描けば」→「描かれれば」:原文は受動態 "portrayed by" です ⚑ 受動態表現を能動態にして訳す方がいい場合があると聞きました→AI:おっしゃる通りです。試訳は自然な日本語になっています。
• 「それぞれが異なるだろう」→「それぞれの場合で異なるものになるだろう」:"different in each case" の "in each case" を活かしました
• 芸術には "portrayed"(描く)、科学には "expressed"(表現する・表す)と使い分けています。添削訳では「表現する」に統一しました。試訳どおり「描く」と「表す」の対比を活かす方が良いかもしれません
• 修正後の訳を前半を能動態、後半を受動態にしたのは意図的ですか?⚑ 意図的です →AI:芸術的知性は主体的・能動的に働くものであり、科学的知性は客観的・受動的に事実を記録するものという著者の議論の流れと一致しています。
1-10-1
But besides the feelings connected with a wide range of experience, each art has certain emotions belonging to the particular sense perceptions connected with it. That is to say, there are some that only music can convey: those connected with sound; others that only painting, sculpture, or architecture can convey: those connected with the form and colour that they severally deal with.
試訳 しかし、様々な経験と結びついた感情のほかに、それぞれの芸術には特有の感情があり、それは、その芸術と結びついた特定の感覚で捉えたものに関係している。つまり、音楽だけが伝えることができるものがあり、それは音と結びついている。同様に、絵画、彫刻、建築だけが伝えることができるものがあり、それらはそれぞれが扱う形と色に結びついている。AI添削訳 しかし、幅広い経験と結びついた感情のほかに、それぞれの芸術には、その芸術に固有の感覚知覚と結びついた特有の感情がある。つまり、音楽だけが伝えられるものがあり、それは音と結びついた感情である。同様に、絵画、彫刻、建築だけが伝えられるものがあり、それらはそれぞれが扱う形と色に結びついた感情である。
Deepl訳 しかし、幅広い経験に伴う感情とは別に、それぞれの芸術には特有の感情があり、それに関連する特定の感覚で捉えたものに特有の感情が存在する。つまり、音に関連する感情のように、音楽だけが伝え得るものがある一方で、絵画、彫刻、あるいは建築だけが伝え得るもの、すなわち、それぞれが扱う形態や色彩に関連する感情もあるのである。
修正後 しかし、幅広い経験と結びついた感情とは別に、それぞれの芸術には特有の感情があり、それは、その芸術に固有の感覚で捉えたものに根差している。つまり、音楽だけが伝えられる感情があり、それは音と結びついている。同様に、絵画、彫刻、建築だけが伝えられる感情があり、それらはそれぞれが扱う形と色に結びついている。
〈AIコメント〉
• 「様々な」→「幅広い」:"a wide range of" は「幅広い」が直訳です
• 「特定の感覚で捉えたもの」→「固有の感覚知覚」:"particular sense perceptions" は「特定の感覚知覚」が直訳です。「感覚で捉えたもの」は意訳です ⚑ 「感覚知覚」は分かりづらい。perceptionsのニュアンスが「捉える」に近いと思いました。 →AI:おっしゃる通りです。「感覚で捉えたもの」は "sense perceptions" のニュアンスをよく表しています。
• "some" と "others" の対比:原文は "some"(音楽だけが伝えられるもの)と "others"(絵画・彫刻・建築だけが伝えられるもの)を対比しています。試訳の「同様に」は原文にないニュアンスです
• ⚑ feelings、emotions 両者とも「感情」と訳しました。AI:一般的に "feelings" はより広い感情全般、"emotions" はより強い・特定の感情を指します。ここでは区別せず「感情」で統一して問題ないと思います
• ⚑ "belonging to"をどう訳すか?AI:「に属する」ではどうか ⚑ もう少し柔らかい表現で AI:「根ざした」ではどうか
• ⚑ "connected with"が4回使われているが、2番目の"connected with it"は「結びつけている」ものが異なっている。AI:2番目だけ別の表現にすることで読みやすくなります
1-11-1
In abstract form and colour—that is, form and colour unconnected with natural appearances—there is an emotional power, such as there is in music, the sounds of which have no direct connection with {21} anything in nature, but only with that mysterious sense we have, the sense of Harmony, Beauty, or Rhythm (all three but different aspects of the same thing).
試訳 抽象的な形と色、つまり現実に見えるものと繋がりのない形と色には、音楽にあるように感情に働きかける力がある。音楽の音と自然の音とには直接的な繋がりはない。しかし、ただ、人が持つあの不思議な感覚に結びついている。つまり「調和」、「美」、「リズム」である(三つはすべて同じものの異なる姿にすぎない)。AI添削訳 抽象的な形と色、すなわち自然の外観とは結びつかない形と色には、音楽と同様に感情に働きかける力がある。音楽の音は自然の何とも直接的な繋がりを持たず、ただ私たちが持つあの不思議な感覚、すなわち調和、美、リズムの感覚(この三つはいずれも同じものの異なる側面にすぎない)とだけ結びついている。
Deepl訳 抽象的な形態や色彩――つまり、自然の事物とは無関係な形態や色彩――には、音楽と同様の感情的な力が宿っている。音楽の音は、自然界のいかなるものとも直接的なつながりを持たず、ただ私たちが持つあの神秘的な感覚、すなわち調和、美、あるいはリズム(これら三つは、すべて同じものの異なる側面である)とのみ結びついているのである。
修正後 抽象的な形と色、つまり自然の事物と繋がりのない形と色には、音楽と同様に感情に働きかける力がある。音楽の音は自然の何とも直接的な繋がりがない。ただ、人が持つあの不思議な感覚に結びついている。つまり調和、美、リズムの感覚である(三つはすべて同じものの異なる姿にすぎない)。
〈AIコメント〉
• 「現実に見えるもの」→「自然の外観」:"natural appearances" は「自然の外観・見た目」が直訳です
• 文を分けた点:試訳では原文の一文を三文に分けていますが、原文は一文の構造です。添削訳では一文にまとめました。ただし日本語として読みやすければ分けても問題ありません
• 「音楽の音と自然の音とには」:原文は "the sounds of which have no direct connection with anything in nature" で「自然の音」との対比ではなく「自然の中の何とも」繋がりがないという意味です
• 「調和、美、リズムである」→「調和、美、リズムの感覚」:"the sense of Harmony, Beauty, or Rhythm" の "sense"(感覚)が試訳では省かれています
• "but different aspects"の "but":ここでの "but" は「ただ〜にすぎない」という意味で、試訳の「すぎない」に正しく反映されています
• ⚑ conection with that mysterious sense とし、mysterious sense と the sense of ... を同格と解して訳しました。AI:良い解釈だと思います。
• ⚑ 「しかし、ただ、」→「しかし、」を省きました。AI:流れがよりスムーズになりました。「ただ」だけで十分な対比が表現されています。
• ⚑ 「同じものの異なる姿」の「同じもの」とは? AI:著者は明示していません。ここでは敢えて明示せず読者に問いかける形で置いているのかもしれません。
1-12-1
This inner sense is a very remarkable fact, and will be found to some extent in all, certainly all civilised, races. And when the art of a remote people like the Chinese and Japanese is understood, our senses of harmony are found to be wonderfully in agreement.
試訳 この内なる感覚は注目すべき事実と言える。すべての、もちろん文明化した、民族にある程度見られるだろう。遠く離れた中国や日本のような国の人々の芸術を理解すると、われわれの調和の感覚と見事に一致しているのが分かる。AI添削訳 この内なる感覚は注目すべき事実であり、すべての民族に、少なくとも文明化したすべての民族に、ある程度見られるだろう。中国や日本のような遠い民族の芸術を理解するとき、私たちの調和の感覚が見事に一致していることが分かる。
Deepl訳 この内なる感覚は実に注目すべき事実であり、あらゆる民族、少なくとも文明化された民族には、ある程度見出されるものである。そして、中国や日本のような遠く離れた民族の芸術を理解してみると、私たちの調和に対する感覚が驚くほど一致していることがわかる。
修正後 この内なる感覚は注目すべき事実である。すべての民族に、少なくとも文明化したすべての民族に、ある程度見られるだろう。中国や日本のような遠く離れた民族の芸術を理解すると、われわれの調和の感覚と見事に一致しているのが分かる。
〈AIコメント〉
• 「注目すべき事実と言える」→「注目すべき事実である」:"is a very remarkable fact" は断定なので「と言える」は不要です
• "all, certainly all civilised, races" の処理:試訳では「すべての、もちろん文明化した、民族に」とコンマをそのまま活かしていますが、日本語では読みにくい。「少なくとも文明化したすべての民族に」と言い換えました
• 「遠く離れた」→「遠い」:"remote" は「遠い・遠方の」で十分です
• 「国の人々」:"a remote people" の "people" は「国の人々」より「民族」が直訳です
• "our senses of harmony are found to be wonderfully in agreement":「彼らの調和の感覚が私たちのものと見事に一致している」という意味です。一致しているのは「彼らと私たち」の調和の感覚です。⚑ 添削訳の「私たちの調和の感覚が見事に一致している」では何が何に一致しているかわからない。試訳の「われわれの調和の感覚と見事に一致している」で分かるのでは? AI:ご指摘の通りです。試訳の方が自然な日本語として十分伝わります。
1-12-2
Despite the fact that their art has developed on lines widely different from our own, none the less, when the surprise at its newness has worn off and we begin to understand it, we find it conforms to very much the same sense of harmony.
試訳 彼らの芸術は、我々とは大きく異なる道筋をたどってきたにもかかわらず、その新奇さに対する驚きが徐々に消え、彼らの芸術を理解し始めると、われわれと全く同じ調和の感覚に従っていることが分かる。AI添削訳 彼らの芸術は我々のものとは大きく異なる道筋をたどって発展してきたにもかかわらず、その新奇さへの驚きが薄れ、理解し始めると、ほぼ同じ調和の感覚に従っていることが分かる。
Deepl訳 彼らの芸術は、私たちのそれとは大きく異なる方向で発展してきたとはいえ、その斬新さへの驚きが薄れ、理解し始めると、それが私たちのものとほぼ同じ調和の感覚に合致していることに気づくのである。
修正後 彼らの芸術は我々のものとは大きく異なる道筋をたどって発展してきたにもかかわらず、その新奇さへの驚きが薄れ、これを理解し始めると、ほぼ同じ調和の感覚に従っていることが分かる。
〈AIコメント〉
• 「我々とは」→「我々のものとは」:"different from our own" の "our own"(私たち自身のもの)を活かしました
• 「徐々に消え」:"has worn off" は「徐々に薄れる」で、「徐々に消え」でも可ですが「薄れ」の方が自然です
• 「彼らの芸術を理解し始めると」:試訳は正確ですが、直前に「彼らの芸術」が出ているので「彼らの芸術を」を省略した方がすっきりします ⚑ 「これ」で受けました。AI:文体の好みの問題で、どちらが正しいというわけではありません。十分伝わります。
• 「全く同じ」→「ほぼ同じ」:"very much the same" は「ほぼ同じ・非常によく似た」という意味です
1-13-1
But apart from the feelings connected directly with the means of expression, there appears to be much in common between all the arts in their most profound expression; there seems to be a common centre in our inner life that they all appeal to. Possibly at this centre are the great primitive emotions common to all men.
試訳 表現手段と直接に結びついた感情を別にすれば、全ての芸術にはその表現の根底に共通したものが多くあるように思われる。我々の内には芸術が働きかける共通した中枢があるらしい。恐らくこの中枢に、全ての人間に共通する根源的な感情があるのだろう。
AI添削訳 しかし、表現手段と直接結びついた感情は別として、すべての芸術はその最も深い表現において共通するものが多いように思われる。私たちの内なる生には、すべての芸術が訴えかける共通の中枢があるらしい。おそらくこの中枢には、すべての人間に共通する根源的な感情がある。
Deepl訳 しかし、表現手段に直接結びついた感情を除けば、あらゆる芸術は、その最も深遠な表現において多くの共通点を持っているように思われる。私たちの内面生活には、あらゆる芸術が訴えかける共通の核があるようだ。おそらく、その核には、すべての人間に共通する偉大で根源的な感情が存在するのだろう。
修正後 しかし、表現手段と直接結びついた感情を別にすれば、あらゆる芸術にはその表現の根底に多くの共通したものがあるように思われる。我々の内には芸術が働きかける共通した中枢があるようだ。恐らくこの中枢に、全ての人間に共通する根源的な感情があるのだろう。
〈AIコメント〉
• ⚑ but:but apart from ~で「~は別だが」という意味か、それとも前文を受けて「しかし」なのか? AI:"but apart from" は「〜は別として、しかし」という意味で、前文を受けつつ新たな観点を導入しています。「しかし」を冒頭に置いた方が前文とのつながりが明確になります
• 「表現の根底に」→「最も深い表現において」:"in their most profound expression" は「最も深い・根本的な表現において」が直訳です。⚑ 「表現の根底に」は誤りか。AI:意味を正確に捉えた自然な日本語訳です。
• 「内なる生」:"our inner life" は「私たちの内なる生」が直訳です。試訳の「我々の内」は少し省略しすぎです ⚑ 「生」の意味が曖昧です。AI:"inner life"は「内的な精神生活」を指しています。 AI:「私たちの内」だけでも前後の文脈から「内なる精神世界」を指すことは十分伝わります。試訳の「我々の内には」はシンプルで良い判断だったと思います。
• 「中枢」:適切な訳だと思います
• 「恐らくこの中枢に〜があるのだろう」→:「のだろう」は 省けます。⚑ 省いた方がいいのか AI:ないと簡潔でスッキリします。あると柔らかい印象を与えます。文体の好みで決めてください。
• ⚑ between all the arts :集合体(mass)としてとらえられない場合は3つ(以上)のものを問題にしていても among は不可『ジーニアス英和大辞典』とあります。
ジーニアスの記述については、"among" は集合体としての関係を示すのに対し、"between" は個々の要素間の関係を示す場合に適しています。この文の "much in common between all the arts" は「すべての芸術の間に共通するものが多い」で、各芸術を個別に比較しているので "between" が適切です。ジーニアスの説明は正しいと思います。
1-13-2
The religious group, the deep awe and reverence men feel when contemplating the great mystery of the Universe and their own littleness in the face of its vastness—the desire to correspond and develop relationship with the something outside themselves that is felt to be behind and through all things.
試訳 宗教の関係で言えば、宇宙の深い神秘を想い、その広大さを前にして己の小ささを感じるときに抱く深い畏敬の念がある。それは、我々の外に合って、全ての物に遍くあると感じられる何かと交感し関係を深めたいという欲求である。
AI添削訳 宗教的な感情の群れ、すなわち宇宙の深い神秘を思い、その広大さの前に己の小ささを感じるときに抱く深い畏敬の念、そして自分たちの外にあって万物の背後を貫いていると感じられる何かと交感し、関係を深めたいという欲求がある。
Deepl訳 宗教というものは、宇宙という偉大な神秘を思索し、その広大さの前で自らの小ささを感じたときに、人間が抱く深い畏敬の念であり、また、万物の背後や内側に存在すると感じられる、自分を超えた何かと調和し、関係を築きたいという願望である。
修正後 宗教にまつわる感情がある。それは宇宙の深い神秘を想い、その広大さを前にして己の小ささを感じるときに抱く深い畏敬の念であり、ひいては、我々の外にあって、万物の背後に遍くあると感じられる何かと交感し関係を深めたいという欲求である。
〈AIコメント〉
• ⚑ 文頭に(there is) が省略されているとして訳出しました。 AI:この段落は前段落の "the great primitive emotions common to all men" を受けて、その具体例を列挙する形になっています。文頭の "The religious group" は "There is the religious group" の省略と読むのが自然です。
• "The religious group" について:前段落の「根源的な感情」の具体例として「宗教的な感情の群れ」を挙げています。「宗教の関係で言えば」は意訳で、"group"(群れ・集まり)のニュアンスが失われています ⚑「感情の群れ」は聞きなれない言葉です。AI:おっしゃる通りです。「宗教にまつわる感情」も候補になります。いかがでしょうか。
• ダッシュの処理:"the deep awe and reverence …" と "the desire to …" はダッシュで結ばれた同格・展開関係です。⚑ 展開関係はどう訳せばよいか AI:「畏敬の念」が深まって「交感したいという欲求」に発展するという流れなので、「ひいては」が適切だと思います。
• 「我々の外に合って」:「合って」は「あって」の誤字と思われます
• "behind and through all things":"behind"(背後に)と "through"(貫いて)の両方を添削訳に反映させました。試訳の「遍くある」では "behind" のニュアンスが薄れています 修正後の「背後に遍くある」の訳でも意味は十分伝わります。
1-13-3
試訳 Then there are those connected with the joy of life, the throbbing of the great life spirit, the gladness of being, the desire of the sexes; and also those connected with the sadness and mystery of death and decay, &c.
さらに、生の喜び、生気に満ちた躍動、存在することのうれしさ、男女の欲望に結びついているものがある。また、死と衰弱の悲哀と謎に関係した感情などもある。
AI添削訳 さらに、生の喜び、生気に満ちた躍動、存在することのうれしさ、男女の欲望に結びついているものがある。また、死と衰弱の悲哀と謎に関係した感情などもある。
Deepl訳 また、生きる喜び、生命の鼓動、存在の歓び、男女の情欲といったものに関連するものもあれば、死や朽ちゆくもののもつ悲しみや神秘などに関連するものもある。
修正後 さらに、生の喜び、生気に満ちた躍動、存在することのうれしさ、男女の欲望に結びついている感情がある。また、死や朽ちゆくもののもつ悲しみや神秘などに関連するものもある。
⚑ 「死や朽ちゆくもののもつ悲しみや神秘」→Deepl訳からもらいました
〈AIコメント〉
• "the throbbing of the great life spirit"→「大いなる生命の躍動」:"the great life spirit"(大いなる生命の精神)の "throbbing"(脈動・躍動)で、「生気に満ちた躍動」より原文に近いです
• 「うれしさ」→「喜び」:"gladness" は「喜び」が自然です
• 「男女の欲望」:適切な訳だと思います
• 「衰弱」→「衰滅」:"decay" は「衰え・腐敗・滅び」で、「衰弱」より広い意味があります
前段落との統一:前段落では「感情」と明示していましたが、試訳の後半では「感情などもある」と明示しています。前半にも「感情」を補った方が統一感が出ます
1-14-1
The technical side of an art is, however, not concerned with these deeper motives but with the {22} things of sense through which they find expression; in the case of painting, the visible universe.
試訳 しかし、芸術の技術的側面は、このようなより深いところにある内的衝動ではなく、それを表現するのに使う感覚で捉えられるものに関係している。絵画の場合、それは目に見える世界である。AI添削訳 しかし、芸術の技術的側面は、このようなより深い動機ではなく、それが表現を見出す感覚的なものに関わっている。絵画の場合、それは目に見える世界である。
Deepl訳 しかし、芸術の技術的な側面は、こうした深層にある動機そのものではなく、それらが表現される媒体となる感覚的な対象、すなわち絵画の場合であれば、目に見える世界に関心を向けるのである。
修正後 しかし、芸術の技術的側面は、こうした深層にある動機にではなく、それを表現するための感覚的な対象に関係している。絵画の場合、それは目に見える世界である。
〈AIコメント〉
• "motives"→「動機」:"deeper motives" は「より深い動機」が直訳です。「内的衝動」は意訳で、"motives" より強いニュアンスになっています。⚑ Deepl訳から「こうした深層にある動機」をもらいました。
• "the things of sense through which they find expression"→「それが表現を見出す感覚的なもの」:"things of sense"(感覚的なもの)を通して「それ(深い動機)が表現を見出す」という構造です。試訳は意味は通じますがやや冗長です→⚑ 「それを表現するための感覚的な対象」にしました
• セミコロンの処理:セミコロンの後の "in the case of painting, the visible universe" は具体例の提示で、試訳の処理は適切です
1-15-1
The artist is capable of being stimulated to artistic expression by all things seen, no matter what; to him nothing comes amiss. Great pictures have been made of beautiful people in beautiful clothes and of squalid people in ugly clothes, of beautiful architectural buildings and the ugly hovels of the poor. And the same painter who painted the Alps painted the Great Western Railway.
試訳 見えるものすべてが画家を芸術的表現へと駆りたてる。どんなものでもかまわない。画家にとって不都合なものは何もない。美しい服を着た美しい人々を描いた名画もあれば、見苦しい服を着たみすぼらしい人々を描いた名画もある。美しい建造物もあれば、貧しい人々が住む粗末なあばら屋もある。さらにはアルプスを描いた同じ画家がグレートウェスタン鉄道も描く。AI添削訳 見えるものすべてが、何であれ、画家を芸術的表現へと駆り立てることができる。画家にとって都合の悪いものは何もない。美しい服を着た美しい人々も、みすぼらしい服を着た粗末な人々も、美しい建造物も、貧しい人々の醜いあばら屋も、名画の題材となってきた。そしてアルプスを描いたその同じ画家がグレートウェスタン鉄道も描いた。
Deepl訳 芸術家とは、目にするあらゆるものから芸術的表現への刺激を受け取ることができる存在であり、彼にとって不適切なものなど何一つない。美しい人々が美しい服を身にまとった姿も、みすぼらしい人々が醜い服を着た姿も、美しい建築物も、貧しい人々の醜い粗末な小屋も、これらはすべて素晴らしい絵画として描かれてきた。そして、アルプスを描いたのと同じ画家が、グレート・ウェスタン鉄道も描いたのである。
Plate II.
1-21-1
1-21-2
1-21-3
1-33-2
1-33-3
⚑ ここも苦し紛れに意訳しました。
○ has equally failed: この現在完了の意味が分かりません。
1-34-1
1-35-1
{30}
修正後 見えるものすべてが画家を芸術的表現へと駆りたてる。どんなものでもかまわない。画家にとって不都合なものは何もない。美しい服を着た美しい人々を描いた名画もあれば、見苦しい服を着たみすぼらしい人々を描いた傑作もある。美しい建造物もあれば、貧しい人々が住む粗末なあばら屋もある。そしてアルプスを描いた同じ画家がグレートウェスタン鉄道も描いた。
〈AIコメント〉
• "no matter what":試訳では「どんなものでもかまわない」と独立した文にしていますが、「何であれ」として前文に組み込む方が自然です
• "nothing comes amiss":"amiss" は「不都合・具合が悪い」の意味で「都合の悪いものは何もない」が直訳です。「不都合なもの」でも可ですが同じ意味です
• 第二文の構造:原文は "Great pictures have been made of A and of B, of C and D" という一文の列挙です。試訳では二文に分けていますが、一文にまとめた方が原文の勢いが伝わります ⚑「も」を並列で4つならべるより、二つずつ、2文にして並べる方が読みやすいのではないか AI:おっしゃる通りです。原文でも "of A and of B, of C and D" とセミコロンやカンマで二つずつグループ分けされています。試訳のように二文に分けて「人物」と「建造物」を対比させる方が読みやすく、原文の構造にも合っています。
• 「さらには」:原文の "And" はシンプルな接続で「さらには」は少し強調しすぎです。「そして」で十分です
• 「描く」→「描いた」:前文が過去形なので統一した方が自然です
• ⚑ "is capable of being stimulated " ofの後に受動態の動名詞はめずらしい表現か AI:現代英語では "can be stimulated"(刺激されることができる)と書く方が一般的です。1913年当時の文語的な文体では自然な表現です。
⛾ グレート・ウェスタン鉄道の絵と言えばターナーの名を挙げなくともイギリス人には知れたようです。富岳三十六景と言えば葛飾北斎と日本人には分かるのと同じことかもしれません。
1-16-1
The visible world is to the artist, as it were, a wonderful garment, at times revealing to him the Beyond, the Inner Truth there is in all things. He has a consciousness of some correspondence with something the other side of visible things and dimly felt through them, a "still, small voice" which he is impelled to interpret to man.
試訳 芸術家にとって目に見える世界は、言わば素晴らしい外被であって、時折、彼方の世界、全てのものの中にある内なる真実、を見せてくれる。芸術家は、目に見えるものの向こう側にあって、見えるものをとおして微かに感じられる何かとの対応関係に気づく。その「静かにささやく声」を何としても伝えたいのである。AI添削訳 芸術家にとって目に見える世界は、言わば素晴らしい衣であり、時に「彼方の世界」、すなわち万物に宿る「内なる真実」を垣間見せてくれる。芸術家は、目に見えるものの向こう側にあって、それを通して微かに感じられる何かとの照応を意識する。それは「静かな細い声」であり、芸術家はそれを人々に伝えずにはいられない。
Deepl訳 芸術家にとって、目に見える世界は、いわば素晴らしい衣のようなものであり、時に彼に「彼方」――万物に宿る内なる真実――を明らかにしてくれる。彼は、目に見えるものの向こう側にある何かとのつながりを意識しており、それを通してかすかに感じ取れる「静かで微かな声」を、人々に伝えるよう駆り立てられているのである。
修正後 芸術家にとって目に見える世界は、言わば素晴らしい着衣であって、時折、「彼方の世界」、全てのものの中にある「内なる真実」、を垣間見せてくれる。芸術家は、それが、目に見えるものの向こう側にあって、見えるものをとおして微かに感じられる何かと照応しているのに気づく。その「静かにささやく声」を何としても伝えたいのである。
〈AIコメント〉
• 「外被」→「衣」:"garment" は「衣・衣服」が自然です。「外被」はやや専門的な言葉です ⚑ 「着衣」にしました AI:「着衣」は「衣」より具体的なイメージがあり、良い選択だと思います。
• 「彼方の世界、全てのものの中にある内なる真実、」:コンマで挟んだ構造が読みにくいです。「彼方の世界、すなわち万物に宿る内なる真実」とした方が明確です
• 「対応関係に気づく」→「照応を意識する」:"a consciousness of some correspondence" は「ある照応の意識」が直訳です。「対応関係」より「照応」の方が詩的な文脈に合います
• "a still, small voice":旧約聖書(列王記)の言葉で、原文では引用符がついています。
• 「何としても伝えたいのである」→「伝えずにはいられない」:"is impelled to interpret" は「伝えずにはいられない・伝えることを強いられる」という強い衝動を示しています
1-16-2
It is the expression of this all-pervading inner significance that I think we recognise as beauty, and that prompted Keats to say:
"Beauty is truth, truth beauty."
試訳 この全てのものの内にある価値の表現こそ、人が美と認めるものだ、と私は思う。それゆえキーツも言っている、
「美は真実、真実は美」と。
AI添削訳 あらゆるものに遍く宿るこの内なる価値の表現こそ、私が思うに、人が美として認めるものであり、キーツに次の言葉を言わしめたものである。
「美は真実、真実は美」
Deepl訳 私たちが「美」として認識しているのは、この遍在する内的な意味の表れであり、それがキーツに次のような言葉を語らせたのだと思う。
「美は真実、真実は美である。」
修正後 この全てのものの内にある価値の表現こそ、人が美と認めるものだ、と私は思う。それゆえキーツも言っている、
「美は真実、真実は美」と。
⚑ 試訳のままです (めずらしい!)
〈AIコメント〉
• "all-pervading"→「あらゆるものに遍く宿る」:"all-pervading"(あらゆるところに浸透している)を活かしました。試訳では省かれています
• "inner significance"→「内なる価値」:適切な訳です
• "prompted Keats to say" は「キーツに言わしめた」が直訳です。「それゆえ」は原文にありません ⚑ 「言わしめた」は文語的で避けたかった。AI:自然なのは試訳のように「キーツも言っている」とシンプルにまとめることかもしれません。
• 強調構文:"It is … that …" の強調構文が試訳では「〜こそ」で処理されており、良い判断です
• キーツの引用:『オード』の一節
⛾ "Beauty is truth, truth beauty," – that is all
Ye know on earth, and all ye need to know.
「ギリシャの壺に寄す」"Ode on a Grecian Urn" より
Ye know on earth, and all ye need to know.
「ギリシャの壺に寄す」"Ode on a Grecian Urn" より
1-17-1
And hence it is that the love of truth and the love of beauty can exist together in the work of the artist. The search for this inner truth is the search for beauty.
試訳 したがって、画家が制作する中で、真実への愛と美への愛が一緒に存在することになる。この内なる真実の探求が、美を探求することなのである。
⚑ work 「作品」、「仕事」、「制作」、訳をどれにするか迷うことが多い。
AI添削訳 だからこそ、芸術家の仕事の中に、真実への愛と美への愛が共存できるのである。この内なる真実の探求こそが、美の探求にほかならない。
Deepl訳 それゆえ、芸術家の作品においては、真実への愛と美への愛が共存し得るのである。この内なる真実を求めることは、すなわち美を求めることなのである。
修正後 だからこそ、画家の制作において、真実への愛と美への愛がともに存在し得るのである。この内なる真実の探求こそが、美を探求にほかならない。
〈AIコメント〉
• ⚑It is that …は相手に対して「予想外だろう」「意外だろう」と思うことを示す内容に使う;「いいめえる」こと白川司氏より"hence it is that":ご指摘の通り「だからこそ」と強調して訳すのが適切です。「したがって」では強調のニュアンスが薄れます
• 「画家」→「芸術家」:"the artist" は「芸術家」が適切です
• "work"について:ここでは "in the work of the artist"(芸術家の仕事の中に)で、「制作」より「仕事」の方が広い活動全般を指して自然です ⚑ 私は「制作」がイメージがつかみやすく思う。AI:「制作」は絵画・素描という文脈に具体的に合っており、読者にイメージが伝わりやすいというご判断は正しいと思います。
• 「一緒に存在する」→「共存できる」:"can exist together" の "can"(できる)が試訳では省かれています
「• 美を探求することなのである」→「美の探求にほかならない」:簡潔でより力強い表現です
1-17-2
People whose vision does not penetrate beyond the narrow limits of the commonplace, and to whom a cabbage is but a vulgar vegetable, are surprised if they see a beautiful picture painted of one, and say that the artist has idealised it, meaning that he has consciously altered its appearance on some idealistic formula; whereas he has probably only honestly given expression to a truer, deeper vision than they had been aware of. The commonplace is not the true, but only the shallow, view of things.
試訳 物の見方が日常的なものの見方の範囲内にとどまる人の目には、キャベツはただのありふれたキャベツでしかない。そうした人がキャベツを描いた美しい絵を見て驚いて言う、画家が理想化して描いていると。つまり画家がなにか理想的な公式に基づいて意識的に見かけを変えていると言うのである。画家にしてみれば、人が気付いてはいない、より真実で、より深い物の見え方を恐らくただ誠実に表現していたにすぎない。日常的なものの見方は真実ではなく、浅いものの見方にすぎない。
AI添削訳 日常的なものの見方の狭い範囲を超えて見ることができず、キャベツをただの平凡な野菜としか見ない人は、それを描いた美しい絵を見て驚き、画家が理想化して描いていると言う。つまり画家が何らかの理想的な公式に基づいて意識的に見かけを変えたと言うのである。しかし画家はおそらく、その人たちが気づいていなかったより真実で深い見方を、ただ誠実に表現していたにすぎない。日常的な見方は真実ではなく、物事の浅い見方にすぎない。
Deepl訳 ありふれたものの狭い枠組みを超えて物事を見通すことができず、キャベツを単なる下品な野菜としか見なさない人々は、キャベツを描いた美しい絵を目にすると驚き、その画家がキャベツを「理想化」した、つまり何らかの理想主義的な公式に基づいて意識的にその外観を変えたのだと言う。しかし実際には、画家は単に、彼らが気づいていなかった、より真実で深遠な視点を率直に表現したに過ぎないのだろう。ありふれた見方は、物事に対する真の視点ではなく、あくまで浅薄な視点に過ぎない。
修正後 物の見方が日常的なものの見方の範囲内にとどまる人の目には、キャベツはただのありふれたキャベツでしかない。そうした人がキャベツを描いた美しい絵を見て驚いて言う、画家が理想化して描いていると。つまり画家がなにか理想的な公式に基づいて意識的に見かけを変えていると言うのである。画家にしてみれば、人が気付いてはいない、より真実で、より深い物の見え方を恐らくただ誠実に表現したにすぎない。日常的なものの見方は真実ではなく、浅い見方にすぎない。
〈AIコメント〉
• 文の構造:原文は一文ですが、試訳では複数の文に分けています。読みやすさの点では問題ありませんが、「驚いて言う」という主節に向かう流れを一文で表すと原文の勢いが伝わります
• 「ありふれたキャベツ」:"vulgar vegetable" は「平凡な・粗野な野菜」で、「ありふれた」でも可ですが「平凡な」の方が原文に近いです
• 「whereas」→「しかし」:"whereas" は対比を示す接続詞で「しかし・一方で」が自然です。試訳では訳されていません
• 「物の見え方」→「見方」:簡潔にしました
• 最終文:"The commonplace is not the true, but only the shallow, view of things" は「日常的な見方は真実の見方ではなく、浅い見方にすぎない」が直訳です
DRAWING BY LEONARDO DA VINCI FROM THE ROYAL COLLECTION AT WINDSOR
Copyright photo, Braun & Co.
試訳 図版 Ⅱ.
レオナルド・ダ・ヴィンチによる素描 ウィンザー城王室コレクション
AI添削訳 図版 Ⅱ.
レオナルド・ダ・ヴィンチによる素描 ウィンザー城王室コレクション
Copyright photo, Braun & Co.
⛾良質の画像を『royal
collection trust』のサイトで見ることができます。息をのむほどの素描です。資料番号は「RCIN
912505」
{23}
1-18-1
Fromentin's
"Art is the expression of the invisible by means of the visible"
expresses the same idea, and it is this that gives to art its high place among the works of man.
フロマンタンの言葉、
Fromentin's
"Art is the expression of the invisible by means of the visible"
expresses the same idea, and it is this that gives to art its high place among the works of man.
フロマンタンの言葉、
「芸術は、見えるものによって見えないものを表現したものである」も同じ考えを言っている。芸術が人の所業の中でも高い位置にあるのはこの故である。
AI添削訳 フロマンタンの言葉、
「芸術とは、見えるものによって見えないものを表現することである」
も同じ考えを述べている。芸術が人間の営みの中で高い位置を占めるのはこのためである。
Deepl訳 フロマンタンの
「芸術とは、目に見えるものを通じて目に見えないものを表現することである」
という言葉も同様の考えを表しており、まさにこの点が、芸術を人間の営みの中で特別な地位に置いているのである。
修正後 フロマンタンの言葉、
「芸術とは、見えるものによって見えないものを表現することである」
も同じ考えを述べている。芸術が人間の営みの中で高い位置を占めるのはこのためである。
⚑ AI添削訳のままです
〈AIコメント〉
• 「表現したものである」→「表現することである」:"the expression of" は名詞ですが、日本語では動詞化した方が自然です
• 「言っている」→「述べている」:やや格調のある文体に合わせました
• 「人の所業」→「人間の営み」:"the works of man" は「人間の営み・所産」で、「所業」はやや否定的なニュアンスがあります
• 「この故である」→「このためである」:「この故」はやや文語的です
"• it is this that":強調構文で「このためこそ」と訳すこともできます
⛾ ウジェーヌ・フロマンタン(1820-76):フランスの画家・作家.
1-19-1
Beautiful things seem to put us in correspondence with a world the harmonies of which are more perfect, and bring a deeper peace than this imperfect life seems capable of yielding of itself. Our moments of peace are, I think, always associated with some form of beauty, of this spark of harmony within corresponding with some infinite source without.
試訳 美しいものによって、人は調和の世界と触れ合うことができるように思われる。その調和は、この不完全な現実世界が自ずから生み出しうるものよりずっと完璧で深い安らぎをもたらしてくれる。安らぎにある時はいつも、そこに或る種の美があると思う。つまり、この内なる調和の輝きが外なる何か無限の源と通じあって生じるのを感じる。
⚑ peace 迷いましたが「安らぎ」としました。
⚑ 後半が訳しづらい。some form of を「ある種の」と訳し、beauty とthis spark of harmony の二つを同格とし、corresponding以下は後者のみを修飾するとして訳しました。infinite source 「永遠の源」と訳しましたがピンときません。
⚑ peace 迷いましたが「安らぎ」としました。
⚑ 後半が訳しづらい。some form of を「ある種の」と訳し、beauty とthis spark of harmony の二つを同格とし、corresponding以下は後者のみを修飾するとして訳しました。infinite source 「永遠の源」と訳しましたがピンときません。
AI添削訳 美しいものは、より完全な調和を持つ世界と人を照応させ、この不完全な現実が自ずから生み出せるものより深い安らぎをもたらしてくれるように思われる。安らぎの瞬間にはいつも何らかの美が伴っていると私は思う。内なる調和の輝きが外なる無限の源と響き合うときに生まれる美である。
Deepl訳 美しいものは、私たちをより完璧な調和に満ちた世界と結びつけ、この不完全な人生がそれ自体では生み出すことのできないような、より深い安らぎをもたらしてくれるようです。私たちの安らぎの瞬間は、常に何らかの形の美と結びついているものであり、内なる調和の火花が、外なる無限の源と響き合っているのだと思います。
修正後 美しいものによって、私たちは、より完全な調和をもつ世界と通じ合い、この不完全な現実がそれ自体では生み出しえないような、より深い安らぎを感じるように思われる。 私たちが安らぎを覚えるときには、いつも何らかの美が結びついているように思う。それは、内なる調和の輝きが、外なる無限の源と響きあっているのである。
〈AIコメント〉
• "put us in correspondence with"→「照応させ」:前の段落で使った「照応」を活かしました
• 「ずっと完璧で」:"more perfect" は比較級で「より完全な」が直訳です。「ずっと」は原文にありません
• 「安らぎにある時」→「安らぎの瞬間」:"our moments of peace" は「安らぎの瞬間」が直訳です ⚑「 やすらぎを感じるときは」としました
• 最終文の構造:"of this spark of harmony within corresponding with some infinite source without" は前文の "some form of beauty" を説明しています。試訳の「つまり」で受ける処理は適切です
• ⚑ "bring"の主語は? AI:"Beautiful things"です。試訳では "harmonies" を主語にしています。どちらも文法的に成り立ちますし、どちらの解釈も成り立ちますが、次の文で「安らぎの瞬間には常に美が伴っている」と述べていることから、文脈からは "Beautiful things" を主語とする読み方の方が著者の議論の流れに沿っていると思います。
1-19-2
Like a mariner's compass, we are restless until we find repose in this one direction. In moments of beauty (for beauty is, strictly speaking, a state of mind rather than an attribute of certain objects, although certain things have the power of inducing it more than others) we seem to get a glimpse of this deeper truth behind the things of sense.
試訳 人は、羅針盤のように、この一つの方向に安らぎを見つけるまで落ち着くことがない。美を感じているとき(というのは、美は、厳密に言うと、たとい他にまして美を惹起する力を持つものがあるにしろ、特定の対象の属性というより心の状態を言うからである)、人は感覚で捉えるものの背後に、もっと深い真実があるのを垣間見るように思われる。AI添削訳 羅針盤のように、人はこの一つの方向に安らぎを見出すまで落ち着かない。美の瞬間に(美とは厳密に言えば特定の対象の属性ではなく心の状態であり、ある種のものが他より美を引き起こす力を持っているとしても)、人は感覚的な世界の背後にあるより深い真実を垣間見るように思われる。
Deepl訳 船乗りの羅針盤のように、私たちはこの一点の方向に安らぎを見出すまで、落ち着きを失い続ける。美の瞬間において(厳密に言えば、美とは特定の物体の属性というよりは心の状態であるが、ある物には他の物よりもそれを引き起こす力がある)、私たちは感覚の対象の背後にあるこのより深い真実を垣間見ているかのようだ。
修正後 羅針盤の針のように、人はこの一つの方向に安らぎを見いだすまでは、落ち着くことがない。美を感じているとき(というのも、美とは厳密には、ある種の対象が他よりも強く美を引き起こす力をもっているにせよ、特定のものの属性ではなく、心の状態を言うからである)、私たちは感覚で捉える事物の背後に在る、より深い真実をかいま見るように思われる。
〈AIコメント〉
• 「羅針盤のように、人は」:比喩を文頭に置くと原文のリズムが出ます
• 「美を感じているとき」→「美の瞬間に」:"In moments of beauty" は「美の瞬間に」が直訳でシンプルです ⚑ 「美の瞬間」はイメージしずらい。美の状態は瞬間ではない AI:確かに美の体験は瞬間的というより持続的な状態です。試訳の方が体験の持続性を表しており、自然です。
• 括弧内の訳:試訳は丁寧で正確ですが、「たとい〜にしろ」はやや文語的です。「ある種のものが他より美を引き起こす力を持っているとしても」の方が自然です ⚑ 「ある種のものが」以下は「特定の状態」の前の置いた方が文の流れがつかみやすい AI:おっしゃるとおりです
• 「もっと深い真実」→「より深い真実」:「もっと」はやや口語的です
1-19-3
And who can say but that this sense, dull enough in most of us, is not an echo of a greater harmony existing somewhere the other side of things, that we dimly feel through them, evasive though it is.
試訳 大方の人にははっきり感じられないかもしれないが、この感覚というのは、ものの向こう側のどこかに大きな調和があって、それがものを通してこだまとなって、捉えがたくはあるけれど微かに聞こえてきたものではないのか。
1-20-1
AI添削訳 大方の人においては鈍いものだが、この感覚は、目に見えるものの向こう側のどこかに存在するより大きな調和のこだまではないと、誰が言えるだろうか。その調和を人はものを通して微かに感じるのだが、それはいかにも捉えどころがない。
Deepl訳 そして、私たちのほとんどにとって十分に鈍感なこの感覚が、物事の向こう側にある、より大きな調和の反響であり、それがいかに捉えどころのないものであれ、私たちは物事を通じてそれをぼんやりと感じ取っているのだと、誰が否定できようか。
修正後 多くの人にとってはっきり感じられないかもしれないが、この感覚は物の彼方のどこかに存在する、より大きな調和のこだまなのではないだろうか。とらえがたくはあるが、それを私たちは対象を通してかすかに感じ取っているのである。
⚑ ChattGPT訳参考にしまし
〈AIコメント〉
• "who can say but that … is not":「〜ではないと誰が言えるだろうか」という反語表現です。試訳では「ではないのか」と訳していますが、反語の強さが少し弱まっています
• 「こだまとなって聞こえてくる」:"an echo" は比喩で、「こだま」は良い訳ですが「聞こえてくる」は原文にありません
• "evasive though it is"→試訳の「捉えがたくはあるけれど」は 譲歩として訳していますが、文末に置いて「いかにも捉えどころがない」とする方が余韻が出ます ⚑ 文末に置くと「捉えどころがない」が強調される。話の中心は「微かに聞こえてきたものではないのか」にある。AI:おっしゃる通りです。試訳のような順序の方が、話の重心が「微かに感じられる」にあることが伝わります。
• "that we dimly feel through them":「ものを通して微かに感じる」は正確です
コラム
⚑ 著者が言う"truth"は何を意味するのか。
AI:ここでの "truth" 「真実」は科学的・客観的な事実(fact)とは異なります。目に見える世界の背後にある普遍的な本質・実在のようなものを指しています。プラトンの「イデア」に近い概念と言えるかもしれません。著者はキーツの "Beauty is truth, truth beauty" を引用しています。ここでの "truth" は「偽りのない本物・真実在」という意味で、感覚的な現象の背後にある変わらない本質を指しています。美しいものは本質的な真実を体現しているという考え方です。
⚑ 「美」"beauty"と「真実」"truth" の関係は?
AI:著者にとって美と真実は別々のものではなく、同じ根源的な何かの異なる側面だということです。そしてその本質が表現されたとき、人はそれを「美」として認識する。
「真実」=万物の背後にある普遍的な本質
「美」=その本質が表現されたものを人が認識したとき感じるもの
この二つは同じ根源的なものの「あり方」と「感じ方」という関係にあります。キーツの言葉を借りれば、真実を表現したものは必ず美しく、本当に美しいものは必ず真実を体現しているということです。これはプラトン以来の西洋の美学の伝統的な考え方でもあります。
⚑ "beauty"、 "harmony"、 "peace"、 "truth"のここでの関係は?
AI:四者の関係:
⚑ この考え方は現在も有効なのか。別の考え方があるのか。
芸術家が目に見える世界の背後にある何かを表現しようとするという考え方は、現代の芸術家や美学者の間でも共感を得ています。特に具象絵画や風景画の分野では今も有効な考え方です。
現代では異なる考え方:
AI:ここでの "truth" 「真実」は科学的・客観的な事実(fact)とは異なります。目に見える世界の背後にある普遍的な本質・実在のようなものを指しています。プラトンの「イデア」に近い概念と言えるかもしれません。著者はキーツの "Beauty is truth, truth beauty" を引用しています。ここでの "truth" は「偽りのない本物・真実在」という意味で、感覚的な現象の背後にある変わらない本質を指しています。美しいものは本質的な真実を体現しているという考え方です。
⚑ 「美」"beauty"と「真実」"truth" の関係は?
AI:著者にとって美と真実は別々のものではなく、同じ根源的な何かの異なる側面だということです。そしてその本質が表現されたとき、人はそれを「美」として認識する。
「真実」=万物の背後にある普遍的な本質
「美」=その本質が表現されたものを人が認識したとき感じるもの
この二つは同じ根源的なものの「あり方」と「感じ方」という関係にあります。キーツの言葉を借りれば、真実を表現したものは必ず美しく、本当に美しいものは必ず真実を体現しているということです。これはプラトン以来の西洋の美学の伝統的な考え方でもあります。
⚑ "beauty"、 "harmony"、 "peace"、 "truth"のここでの関係は?
AI:四者の関係:
- truth(真実)が根源にあります。目に見えるものの向こう側にある普遍的な本質
- harmony(調和)はその真実の現れ方です。目に見えるものの向こう側のどこかに存在するより大きな調和として、人はものを通して微かに感じます。
- beauty(美)は harmony を垣間見る体験・心の状態です。内なる調和の輝きが外なる無限の源と響き合うときに生まれます。美しいものはその体験への入り口・契機です。
- peace(安らぎ)は beauty の体験がもたらす結果です。
⚑ この考え方は現在も有効なのか。別の考え方があるのか。
芸術家が目に見える世界の背後にある何かを表現しようとするという考え方は、現代の芸術家や美学者の間でも共感を得ています。特に具象絵画や風景画の分野では今も有効な考え方です。
現代では異なる考え方:
- 20世紀初頭の抽象芸術:カンディンスキーやモンドリアンは「内なる真実」の表現を追求しましたが、具象的な自然の描写を完全に捨てました。著者の考え方をある意味で極端に推し進めた結果とも言えます
- ダダイズム・コンセプチュアルアート:「美」や「真実」という概念自体を疑い、芸術とは何かという問い自体を作品にしました。著者の前提を根本から否定する立場です
- 現代の多元主義:「美」や「真実」は普遍的なものではなく文化・時代・個人によって異なるという考え方が主流になっています。著者の「すべての人間に共通する根源的な感情」という前提自体が疑われています
- 神経美学:美の感覚を脳科学的に説明しようとする現代の研究分野で、Speedの哲学的なアプローチとは全く異なる方法で美を探求しています
But we must tread lightly in these rarefied regions and get on to more practical concerns. By finding and emphasising in his work those elements in visual appearances that express these profounder things, the painter is enabled to stimulate the perception of them in others.
試訳 しかし、この深遠な領域は慎重に扱わねばならず、そして、もっと実際的なことがらに取り掛からねばならない。目に見えるものの内にこれらの深いものを表現する要素があり、画家は制作する中で、これを見つけだして強調することによって、見る人にそれを感じさせることができる。
AI添削訳 しかしこの希薄な領域は慎重に踏み込まねばならず、より実際的な問題に移ることにしよう。目に見えるものの中にこれらの深いものを表現する要素を見つけ出し、制作においてそれを強調することで、画家は見る人にその知覚を呼び起こすことができる。
Deepl訳 しかし、こうした抽象的な領域については慎重に扱う必要があり、より現実的な問題に移らなければならない。画家は、視覚的な外観の中に、こうした深遠な事柄を表現する要素を見出し、それを作品の中で強調することで、他者のそれらに対する認識を喚起することができるのである。
修正後 しかし、こうした抽象的な領域はこれ以上深入りせず、より実際的なことがらに取り掛かるとしよう。目に見えるものの中にこれらの深いものを表現する要素があり、画家は制作する中で、これを見つけだして強調することによって、見る人にそれを感じさせることができる。
〈AIコメント〉
• "rarefied regions"→「希薄な領域」:"rarefied" は「希薄な・高尚な・一般人には近づきがたい」という意味です。試訳の「深遠な」は "profound" に近く、"rarefied" のニュアンスとは少し違います
• "get on to"→「移ることにしよう」:"get on to" は「次に進む」という意味で、著者が読者に語りかけるニュアンスが出ます
• "the perception of them"→「その知覚を呼び起こす」:"stimulate the perception" は「知覚を刺激する・呼び起こす」が直訳です。試訳の「感じさせる」は意訳ですが自然です
• 文の構造:第二文は "By finding and emphasising … the painter is enabled to stimulate" という構造で、画家を主語にした方が原文に忠実です
⛾tread lightly:そっと歩く;〈むずかしい問題を〉慎重に扱う.『リーダーズ英和』
In the representation of a fine mountain, for instance, there are, besides all its rhythmic beauty of form and colour, associations touching deeper chords in our natures—associations connected with its size, age, and permanence, &c.; at any rate we have more feelings than form and colour of themselves {24} are capable of arousing.
試訳 例えば、山を描いているとき、山のリズミカルな形と色の美しさのほかに、それに連関して心に生じる何かが我々の琴線に触れる。山の大きさや悠久性、不変性などに結びついて生じる感情である。いずれにしても、形や色そのものが生み出す以上の感情が生まれる。AI添削訳 例えば、壮大な山を描く場合、そのリズミカルな形と色の美しさのほかに、我々の心の深いところに触れる連関がある。山の大きさ、悠久性、不変性などに結びついた連関である。いずれにしても、形や色だけが生み出しうる以上の感情が生まれる
Deepl訳 例えば、雄大な山を描写する場合、その形や色彩が持つリズミカルな美しさに加え、私たちの心の奥底に響く連想――その大きさや歴史、不変性などに関連する連想――が呼び起こされる。いずれにせよ、そこには形や色彩そのものが喚起しうるもの以上の感情が存在するのだ。
修正後 例えば、雄大な山を描いているとき、山のリズミカルな形と色の美しさのほかに、我々の心の奥深くに響く何かがある。山の大きさや悠久性、不変性などに結びついて生じる想いである。いずれにしても、形や色そのものが生み出す以上の感情が生まれる。
〈AIコメント〉
• "a fine mountain"→「壮大な山」:"fine" は「立派な・壮大な」という意味です
• "representation"→「描く場合」:"representation" は「描写・表現」ですが、「描く場合」と動詞化した方が自然です
• ⚑ association:「連想」、ここではしっくりこない。具体的なものをきっかけとして、それに連関して心に生じる何かという意味なので、連関をそのまま使いました。AI:おっしゃる通り「連想」はしっくりきません。「連関」は良い選択です。→⚑ 「何か」で逃げました。
• 「悠久性、不変性」:"age" は「悠久性・古さ」、"permanence" は「不変性・永続性」で適切な訳です
⚑ touching deeper chords in our natures:まとめて「心の琴線に触れる」としました。→Deepl訳を参考に「心の奥深くに響く」にしました
And these things must be felt by the painter, and his picture painted under the influence of these feelings, if he is instinctively to select those elements of form and colour that convey them.
試訳 そして、画家がその感情を表す形や色の要素を直観的に選びだすには、これらの感情を画家は感じ取らねばならず、この感情に動かされて絵は描かねばならない。AI添削訳 画家がこれらの感情を伝える形や色の要素を直観的に選び出すためには、画家自身がこれらのものを感じ取り、その感情に動かされながら絵を描かねばならない。
Deepl訳 そして、画家がそれらの感情を伝える形や色の要素を直感的に選び出すためには、画家はそれらの感情を肌で感じ取り、その感情に動かされて絵を描かなければならない。
修正後 そして、画家がそれらの感情を表す形や色の要素を直観的に選びだすには、これらの感情を画家は感じ取り、この感情に動かされて絵を描かねばならない。
〈AIコメント〉
• ⚑ if he is instinctively to select : be to はif節で目的の意味が加わる。『英文法解説』p321「直観的に選び出すためには」が自然です。試訳の「〜には」も同じ意味で適切です
• 「その感情を表す」→「これらの感情を伝える」:"convey them" の "them" は "these things"(感情)を指し、「伝える」が直訳です
• 「この感情に動かされて絵は描かねばならない」→「その感情に動かされながら絵を描かねばならない」:"painted under the influence of these feelings" は「感情の影響のもとで描かれる」で、「動かされながら」が自然です
• 受動態の処理:"these things must be felt" "his picture painted" はともに受動態ですが、試訳・添削訳ともに能動的に訳しており日本語として自然です
Such deeper feelings are far too intimately associated even with the finer beauties of mere form and colour for the painter to be able to neglect them; no amount of technical knowledge will take the place of feeling, or direct the painter so surely in his selection of what is fine.
試訳 そのような深い感情は、単なる形や色の素晴らしい美しさとも密接に結びついているので画家はそれを無視することができない。どんなに技術的な知識があろうとも、それは感情にとって代わることはできないし、画家が素晴らしいものを選び出そうとする際に画家を確実に導くこともできないだろう。
AI添削訳 そのような深い感情は、単なる形や色の繊細な美しさとも密接に結びついているため、画家はそれを無視することができない。どれほどの技術的な知識も感情にとって代わることはできないし、何が優れているかを選ぶ際に画家をこれほど確実に導くこともできない。
Deepl訳 そのような深遠な感情は、単なる形や色彩の繊細な美しさとさえ密接に結びついているため、画家がそれらを無視することは到底できない。いかなる技術的知識も、感情に取って代わることはできず、また、何が美しいかを選ぶ際に画家をこれほど確実に導くこともできない。
修正後 そのような深い感情は、単なる形や色の繊細な美しさとも密接に結びついているので画家にとって無視できるものではない。どんなに技術的な知識があろうとも、感情にとって代わることはできないし、何が美しいかを選ぶ際にこれほど確実に画家を導くものはないだろう。
〈AIコメント〉
• "far too intimately":「あまりにも密接に」の "far too" が試訳では省かれています
• ⚑ deeper、finer:比較級を訳しこみませんでした。fineの意味は「繊細な」か、「素晴らしい」か、どちらもしっくりきませんが、後者にしました。"the finer beauties"→「繊細な美しさ」:"finer" は「より繊細な・より優れた」で「素晴らしい」より正確です
"no amount of"→「どれほどの〜も」:"no amount of" は「どれほど多くの〜があっても」という意味で「どんなに〜があろうとも」でも可です
• 「画家が素晴らしいものを選び出そうとする際に画家を」:「画家」が二回繰り返されています。「その際に画家を」と省略できます
• ⚑ what:疑問代名詞か関係代名詞か。AI:関係代名詞です。"what is fine"→「何が優れているか」関係代名詞でも、日本語では疑問文的に訳した方が自然になることはよくある
1-22-1
There are those who would say, "This is all very well, but the painter's concern is with form and colour and paint, and nothing else. If he paints the mountain faithfully from that point of view, it will suggest all these other associations to those who want them." And others who would say that the form and colour of appearances are only to be used as a language to give expression to the feelings common to all men.
試訳 こんなことを言う人がいる、「とてもよくできてはいるが、画家の関心は形と色と描写だけ、他には何もない。そのような見方で忠実に山を描いても、その絵はそれ以上のものを生み出し、それを見る者はそこから何であれ好きな感情をいだくだろう。」反対に、こんな風に言う人も、そこに描かれている形と色は、だれにでも共通する感情を表現するための単なる言葉としてしか使われていない、と。
AI添削訳 こう言う人がいる。「それはよく分かるが、画家の関心は形と色と絵具だけであり、他には何もない。そのような観点から山を忠実に描けば、求める人にはそれらの連関が自ずと伝わるだろう。」また、目に見えるものの形と色はすべての人に共通する感情を表現するための言葉としてのみ使われるべきだと言う人もいる。
Deepl訳 「それはそうだが、画家の関心は形や色、そして絵の具そのものにあるのであって、それ以外には何もない。その観点から山を忠実に描けば、それを見たいと思う人にとっては、他のあらゆる連想が自然と浮かび上がるだろう」と言う者もいる。また、外見上の形や色は、すべての人間に共通する感情を表現するための言語としてのみ用いられるべきだと主張する者もいる。
修正後 このように言う人もいる。「なるほどそうかもしれないが、画家の関心は形と色、そして絵具そのものにあり、他にはない。そういった見方で忠実に山を描きさえすれば、その絵はそうした見方以外の想いを、それを感じたい人に呼び起こすだろう。」反対に、こんな風に言う人もいる。目に見える形と色は、だれにでも共通する感情を表現するための言語としてのみ用いられるべきだ、と。
〈AIコメント〉
• "paint"→「絵具」:「描写」ではなく画材の意味です
• ⚑ all these other associations:「全てのこれらの他の連想」?これでは意味が分からないので上の訳のようにしました。誤訳かも。AI:"all these other associations":前段落で述べた山の大きさ・悠久性などに結びついた「連関」を指します。「それらの連関が自ずと伝わる」と訳しました
• 「その絵はそれ以上のものを生み出し〜好きな感情をいだく」:原文は「求める人にはそれらの連関が伝わる」という意味で、試訳は意訳しすぎです
• "And others who would say":前文と対比して「また〜と言う人もいる」と補いました
• "be to" は「〜すべきだ・〜することになっている」という義務・規範を表す用法です。
• "concern is with" の "with" は「〜に関係している・〜に関わっている」という意味で、"be concerned with"(〜に関心がある・〜に関わる)の構造から来ています。
• "concern is with" の "with" は「〜に関係している・〜に関わっている」という意味で、"be concerned with"(〜に関心がある・〜に関わる)の構造から来ています。
1-22-2
"Art for art's sake" and "Art for subject's sake." There are these two extreme positions to consider, and it will depend on the individual on which side his work lies. His interest will be more on the aesthetic side, in the feelings directly concerned with form and colour; or on the side of the mental associations connected with appearances, according to his temperament.
「芸術のための芸術」そして「主題のための芸術」。ここに考えるべき両極の見解がある。どちらの考えに立って描くのかは画家しだいだろう。画家の気質によって画家の関心の所在は異なる。形と色に直接結びついた感情の中に身を置き、より感性的な方向に関心のある画家もいれば、描かれた事物の外観に結びついて心に想起するものの方に関心のある画家もいるだろう。
AI添削訳
Deepl訳
修正後
〈AIコメント〉
1-22-3
But neither position can neglect the other without fatal loss. The picture of form and colour will never be able to escape the associations connected with visual things, neither will the picture all for subject be able to get away from its form and colour.
しかし、どちらの考えをとるにせよ、一方の考えを無視しては失うものは致命的にならざるを得ない。形と色で描かれる絵も、決して見えるものに結びついて心に想起するものから逃れることはできない。同じく、もっぱら主題を表現するために描く絵も、その形と色から自由になることはない。
AI添削訳
Deepl訳
修正後
〈AIコメント〉
1-22-4
And it is wrong to say "If he paints the mountain faithfully from the form and colour point of view it will suggest all those other associations to those who want them," unless, as is possible with a simple-minded painter, he {25} be unconsciously moved by deeper feelings, and impelled to select the significant things while only conscious of his paint.
「画家が形と色の観点から忠実に山を描いても、その絵はそれ以上のものを生み出し、それを見る者はそこから何であれ好きな感情をいだくだろう。」と言うのは間違いである。画家が無意識のうちに深い感情に動かされ、描くことだけに集中しているうちに知らずに重要な選択をしてしまうということでもないかぎり、純真な心を持った画家ならともかく、ありえないことである。
AI添削訳
Deepl訳
修正後
〈AIコメント〉
1-22-5
But the chances are that his picture will convey the things he was thinking about, and, in consequence, instead of impressing us with the grandeur of the mountain, will say something very like "See what a clever painter I am!" Unless the artist has painted his picture under the influence of the deeper feelings the scene was capable of producing, it is not likely anybody will be so impressed when they look at his work.
恐らく、その画家の絵は、画家が考えていることを伝えるだろう。その結果、山の雄大さで感動を与えるかわりに「俺はどんなに絵がうまいか見てくれ」と言うのにほとんど等しいことを語りかける可能性がある。画家が景観が生み出す深い感情の感化を受けて絵を描かないかぎり、人がその絵を見て感動することなどありそうにない。
⛾ 長いパラグラフでした。
AI添削訳
Deepl訳
修正後
〈AIコメント〉
1-23-1
And the painter deeply moved with high ideals as to subject matter, who neglects the form and colour through which he is expressing them, will find that his work has failed to be convincing.
一方、主題の内容の高い理想に大いに感動した画家が、それを表現するための形と色を軽視すると、その絵は説得力のないものになってしまうだろう。
1-23-2
The immaterial can only be expressed through the material in art, and the painted symbols of the picture must be very perfect if subtle and elusive meanings are to be conveyed. If he cannot paint the commonplace aspect of our mountain, how can he expect to paint any expression of the deeper things in it?
芸術の世界では、物質でないものは物質によってのみ表現することができる。捉えどころのない意味を伝えようとするならば、描かれたシンボルは完璧でなければならない。くだんの山の普通の姿も描くことができない画家に、どうして山により深い表現をあたえて描けるであろう。
⚑ subtle and elusive:subtle も elusiveも似たような意味なので「捉えどころのない」一語で済ましました。
1-13-3
The fact is, both positions are incomplete. In all good art the matter expressed and the manner of its expression are so intimate as to have become one.
実際、どちらの立場も完全ではない。すぐれた芸術においては、表現されたものとその表現方法は常に密接に結びつき、一体となっている。
1-23-4
The deeper associations connected with the mountain are only matters for art in so far as they affect its appearance and take shape as form and colour in the mind of the artist, informing the whole process of the painting, even to the brush strokes. As in a good poem, it is impossible to consider the poetic idea apart from the words that express it: they are fired together at its creation.
山を見て心に生じる深い感情は、画家の心の中で、それが山の見え方に変化をもたらし、形と色として具体化して初めて芸術として意味を持つ。それは制作の全ての過程に及び、筆致にまで現れる。名詩で言えば、詩的な着想はそれを表現する言葉から切り離して考えることはできない。それらは創造される時、同時に焼成されるのである。
1-24-1
Now an expression by means of one of our different sense perceptions does not constitute art, or {26} the boy shouting at the top of his voice, giving expression to his delight in life but making a horrible noise, would be an artist. If his expression is to be adequate to convey his feeling to others, there must be some arrangement.
我々の様々な知覚の何か一つを使って表現したところで、それが芸術となることはない。かりにそうだとすると、声を限りに叫んで、生きている喜びを表現し、ただ騒いでいるだけの子供は芸術家だということになってしまう。自分の感情をうまく相手に伝えるには、なんらかの調整が必要となる。
⚑ now :どう訳したらよいのか、訳出の中には明確に織り込んでいません。
⚑ arrangement:ぴったりする訳がみつからない。とりあえず「調整」としました。
1-24-2
The expression must be ordered, rhythmic, or whatever word most fitly conveys the idea of those powers, conscious or unconscious, that select and arrange the sensuous material of art, so as to make the most telling impression, by bringing it into relation with our innate sense of harmony.
表現は、意識的であれ無意識的であれ、リズムによって秩序付けられねばならない。リズムと言わず、もっと良い言い方があればそれでいいのだが、感覚で捉えた芸術の素材を選択し整理する力で表現に秩序を与える必要がある。そうすることで、素材に、人が生まれながら持つ調和の感覚を関係づけることによって、最も効果的な印象を与えることができる。
⚑ 訳しずらいところです。so as to 「~するように」以下を後ろに付けて訳しました。
⚑ it は何を指すのか。the expression としても意味は通るのですが、the sensuous material of art を指しているとして訳出しました。
1-24-3
If we can find a rough definition that will include all the arts, it will help us to see in what direction lie those things in painting that make it an art. The not uncommon idea, that painting is "the production by means of colours of more or less perfect representations of natural objects" will not do. And it is devoutly to be hoped that science will perfect a method of colour photography finally to dispel this illusion.
あらゆる芸術を含む大まかな定義があったなら、絵画を芸術たらしめるものが絵画のどういう所にあるのか理解する一助となる。よくある考えだが、絵画は「色を使って多かれ少なかれ正確に自然の対象を再現したものである」というのはいただけない。科学によってついにはカラー写真の方法が完成し、是非この幻想を一掃してもらいたい。
⛾ カラー写真は、当時はまだ一般化していなかったようです。スピードの写真に対するこの考え方は興味深いです。
1-25-1
What, then, will serve as a working definition? There must be something about feeling, the expression of that individuality the secret of which everyone carries in himself; the expression of that ego that perceives and is moved by the phenomena of life around us. And, on the other hand, something about the ordering of its expression.
それでは何が仮の定義として使えるのか。感情に関する何かであるに違いない。誰もが内に秘めているような個性の表現。知覚し身の回りの生命現象に感動するような自我の表現。一方で、その表現を秩序付けることに関係したなにか。
⚑ that individuality 、that ego:⦅関係代名詞の先行詞を限定して⦆ …する[である]ような:『ランダムハウス英和大辞典
1-26-1
But who knows of words that can convey a just idea of such subtle matter? If one says "Art is the rhythmic expression of Life, or emotional consciousness, or feeling," all are inadequate. Perhaps the "rhythmic expression of life" would be the more perfect definition.
しかし、誰がこのような微妙な事柄をぴったり表現できる言葉を知っていよう。「芸術は、生命のリズミカルな表現である」、あるいは「感情意識のリズミカルな表現」、あるいは「感情のリズミカルな表現」、どれも十分ではない。おそらく「生命のリズミカルな表現」が、なかでは出来のいい定義かもしれない。
⚑ emotional consciousness:「感情意識」としたが意味がはっきりしません。
⚑ emotional consciousness:「感情意識」としたが意味がはっきりしません。
1-26-2
But the word "life" is so much more associated with eating and drinking in the popular mind, than with the spirit or force or whatever you care to call it, that exists behind conscious{27}ness and is the animating factor of our whole being, that it will hardly serve a useful purpose.
しかし「生命」という言葉は、一般的には、飲み食いを連想させる。そうではなく、精神や力、なんと呼ぼうとかまわないが、意識の背後にあって、生きて在るものすべての生気を生み出す要因となるものをもっと強く思わせる言葉がいい。だからこの言葉では、ほとんど用をなさいだろう。
⚑ life:「生命」としました。しかし、日本語の「生命」はそれほど飲み食いを意識させません。適訳がみつかりません。
⚑ life:「生命」としました。しかし、日本語の「生命」はそれほど飲み食いを意識させません。適訳がみつかりません。
1-26-3
So that, perhaps, for a rough, practical definition that will at least point away from the mechanical performances that so often pass for art, "the Rhythmic expression of Feeling" will do: for by Rhythm is meant that ordering of the materials of art (form and colour, in the case of painting) so as to bring them into relationship with our innate sense of harmony which gives them their expressive power.
そこで、大ざっぱな実用上の定義として使うのであれば、しばしば芸術として通用している無味乾燥な行為とは少なくとも反対の意味を持つ「感情のリズミカルな表現」で恐らくいいのではないか。なぜならリズムは、芸術の素材(絵画で言えば、形と色)を秩序付けることを意味し、人が生まれながらに持つ調和の感覚に素材を結びつけるからである。この調和の感覚こそが素材にその表現力を与えることになる。
1-26-4
Without this relationship we have no direct means of making the sensuous material of art awaken an answering echo in others. The boy shouting at the top of his voice, making a horrible noise, was not an artist because his expression was inadequate—was not related to the underlying sense of harmony that would have given it expressive power.
この調和の感覚との結びつき以外には、感覚に訴える芸術の素材を相手の心に響かせる端的な方法はない。大声で叫んで騒いでいた子供は芸術家ではなかった。なぜなら、その子の表現は不適切だった。つまり根本的な調和の感覚と結びついていなかったからである。それがあれば、その表現には表現力が生まれていたであろう。
1-27-1
1-28-1
⚑ something of:「多少の感情」「感情の何か」?ここでは「何かの感情」としました。
Plate III.
STUDY FOR "APRIL"
In red chalk on toned paper.
図版 III.
『四月』のための習作
薄い色の紙にレッドチョーク
⚑ toned paper:訳のとおり薄い色の紙、トーンペーパーとしている訳書もあるが一般的名称なのか不明です。
⛾ この素描はスピードのものだと思いますが、『四月』がどういう作品か不明です。
Let us test this definition with some simple cases. Here is a savage, shouting and flinging his arms and legs about in wild delight; he is not an artist, although he may be moved by life and feeling. But let this shouting be done on some ordered plan, to a rhythm expressive of joy and delight, and his leg and arm movements governed by it also, and he has become an artist, and singing and dancing (possibly the oldest of the arts) will result.
この定義をいくつかの簡単な事例で検証してみよう。ここに一人の未開人がいる。狂喜して叫び、手足を激しく動かしている。生命と感情につき動かされてはいるが、彼は芸術家とは言えない。しかし、ここで歓喜を表すリズムに合わせ、規則的に叫ぶようにする。手足も同じように合わせる。これで彼は芸術家となる。こうして歌と踊り(おそらくこれが芸術の原初だろう)が成立する。
Or take the case of one who has been deeply moved by something he has seen, say a man killed by a wild beast, which he wishes to tell his friends. If he just explains the facts as he saw them, making no effort to order his words so as to make the most telling impression upon his hearers and convey to them something of the feelings that are stirring in him, if he merely does this, he is not an artist, although the recital of such a terrible incident may be {28} moving.
次に、未開人が何かを見てとても動揺したとしよう。例えば野獣に殺された人を見て、仲間に話したいという場合。ただ見たことをそのまま説明するだけで、言葉を整えることで聞き手に最も効果的な印象を与えて自分の心をゆさぶっている何かの感情を伝えようとはしない。ただこれだけでは、恐ろしい出来事の話しの内容が心を動かすものであっても、彼は芸術家とは言えない。⚑ something of:「多少の感情」「感情の何か」?ここでは「何かの感情」としました。
1-28-2
But the moment he arranges his words so as to convey in a telling manner not only the plain facts, but the horrible feelings he experienced at the sight, he has become an artist. And if he further orders his words to a rhythmic beat, a beat in sympathy with his subject, he has become still more artistic, and a primitive form of poetry will result.
しかし、単に事実だけでなく、その光景を見て経験した恐ろしい感情までも効果的な方法で伝えるように言葉を秩序づけた瞬間、芸術家となる。さらに、リズミカルな拍子、つまり伝えようとする対象に合わせた拍子で言葉を整えるならば、一層芸術的な効果が増す。ここに詩の原初的な形式が成立するだろう。the horrible feelings he experienced at the sight:「その光景を見たときの恐ろしい感情」deepl訳、お見事!
1-29-1
1-29-2
Or in building a hut, so long as a man is interested solely in the utilitarian side of the matter, as are so many builders to-day, and just puts up walls as he needs protection from wild beasts, and a roof to keep out the rain, he is not yet an artist.
あるいは、小屋を建てる場合。現代の建築業者もたいてい同じようなものだが、実用的な面にしか関心がない。獣から身を守るため壁を作り、雨をしのぐために屋根を葺く。ただこうしているうちは、まだ芸術家ではない。
But the moment he begins to consider his work with some feeling, and arranges the relative sizes of his walls and roof so that they answer to some sense he has for beautiful proportion, he has become an artist, and his hut has some architectural pretensions.
しかし、何らかの感情をこめて自分の仕事を考え始める。釣り合いが美しく取れているかという感覚に合わせて壁と屋根の相対的大きさを調整する。その瞬間、彼は芸術家となり、その小屋は建築的主張を持ったものとして現れる。
1-29-3
Now if his hut is of wood, and he paints it to protect it from the elements, nothing necessarily artistic has been done. But if he selects colours that give him pleasure in their arrangement, and if the forms his colour masses assume are designed with some personal feeling, he has invented a primitive form of decoration.
今度は、その小屋が木造で、雨風にさらされるのを防ぐためペンキを塗るとする。それでは、必ずしも芸術的なことをしたとは言えない。しかし、好みの配色を選び、塗られた色が作る形を何らかの個人的な感情に合わせて配置する。こうすれば、装飾の最初期の形態を創り出したことになる。
⚑ (a primitive form) of decoration であるとして訳出しました。
1-30-1
And likewise the savage who, wishing to illustrate his description of a strange animal he has seen, takes a piece of burnt wood and draws on the wall his idea of what it looked like, a sort of catalogue of its appearance [in its details][//], he is not necessarily an artist. It is only when he draws under the influence of some feeling, of some pleasure he felt in the appearance of the animal, that he becomes an artist.
同様に、未開人が珍しい動物を見て、その姿を描きたいと思い、焦げた木片を手に取り、壁に見たあり様を描く。その姿の細部まで表した一種のカタログである。これでは必ずしも芸術家とは言えない。何らかの感情、動物の姿に感じた何らかの喜び、に駆られて描いたとき初めて芸術家となる。
⚑ 最初の文の構造が分かりません。the savage (who ……) he is not necessarily an artist なのだと思うのですが、the savage は提示なのか?
⚑ of some feeling と of some pleasure he felt が同格であるとして訳出しました。これでいいと思うのですが。
⚑ [in its details][//]:第二版より
⚑ [in its details][//]:第二版より
1-31-1
Of course in each case it is assumed that the men have the power to be moved by these things, and whether they are good or poor artists will {29} depend on the quality of their feeling and the fitness of its expression.
もちろん、どの場合においても、それらの事柄に感動するだけの能力があることが前提となっている。そして、すぐれた芸術家であるかそうでないかは、彼らの感情の質とその表現の適合性にかかっている。
Plate IV.
STUDY ON TISSUE-PAPER IN RED CHALK FOR FIGURE OF BOREAS
図版 IV.
ボレアスの姿のための習作 雁皮紙にレッドチョーク
⛾ これもスピードの素描だと思いますが、何の作品の習作なのか分かりません。ボレアスは、ギリシャ神話の北風の神。
1-32-1
The purest form of this "rhythmic expression of feeling" is music. And as Walter Pater shows us in his essay on "The School of Giorgione," "music is the type of art." The others are more artistic as they approach its conditions. Poetry, the most musical form of literature, is its most artistic form. And in the greatest pictures form, colour, and idea are united to thrill us with harmonies analogous to music.
「感情のリズミカルな表現」の最も純粋な形式は音楽と言える。ウォルター・ペイターが「ジョルジョーネ派」論の中で示したように「音楽は芸術の典型である。」他の芸術は音楽の状態に近づくにつれ芸術性を増す。詩は、文学の最も音楽的な形式であり、それゆえ最も芸術的な文学の形式と言える。最良の絵画においては、形と色と主題は一体化し、音楽にも似たハーモニーで人を感動させる。
⛾ウォルター・ペイター⦅1839‐94; 英国の批評家・小説家;⦆ "All art constantly aspires towards the condition of music." 「すべて芸術は絶えず音楽の状態に憧れる。」(『ルネサンス』「ジョルジョーネ派」)
1-33-1
The painter expresses his feelings through the representation of the visible world of Nature, and through the representation of those combinations of form and colour inspired in his imagination, that were all originally derived from visible nature.
画家は自分の感情を表現するのに、自然という目に見える世界を描写し、また、自分の想像のなかで喚起される形と色の組み合わせを描写する。その形と色の組み合わせは、元をたどれば全て目に見える自然から得たものにほかならない。
⚑ the visible world of Nature この of は同格関係を意味するのでしょうか。Nature は何故大文字で始めているのでしょうか。
⚑ the visible world of Nature この of は同格関係を意味するのでしょうか。Nature は何故大文字で始めているのでしょうか。
If he fails from lack of skill to make his representation convincing to reasonable people, no matter how sublime has been his artistic intention, he will probably have landed in the ridiculous. And yet, so great is the power of direction exercised by the emotions on the artist that it is seldom his work fails to convey something, when genuine feeling has been the motive.
もし画家が技量不足から、自分の描写を一般の人に納得させることができなければ、たとえ芸術的意図が崇高であったとしても、こっけいな状況に陥ってしまうだろう。だがそれでも、感情が芸術家に及ぼす支配力はすさまじいので、純粋な感情に駆り立てられていたならば、その作品は何かしらを伝えるものである。
⚑ 後半の文はかなり意訳しました。
On the other hand, the painter with no artistic impulse who makes a laboriously commonplace picture of some ordinary or pretentious subject, has equally failed as an artist, however much the skilfulness of his representations may gain him reputation with the unthinking.
他方、芸術的衝動を持ち合わせない画家が、普通の主題にしろ仰々しい主題にしろ、平凡な絵を苦心して描いたところで、同じく画家として失敗である。描写の腕前によって思慮のない人々の間でどんなに評判を得ようとも意味がない。⚑ ここも苦し紛れに意訳しました。
○ has equally failed: この現在完了の意味が分かりません。
○ with the unthinking:「思慮のない人々の間に」としましたが、誤訳かもしれません。
The study, therefore, of the representation of visible nature and of the powers of expression possessed by form and colour is the object of the painter's training.
したがって、目に見える自然の描写と形と色が持つ表現力の二つの学習が画家の実技教育の目的となる。
And a command over this power of representation and expression is absolutely necessary if he is to be capable of doing anything worthy of his art.
この描写力と表現力を身につけること、これは、画家が芸術において何か価値あることをなしうるようになろうとするならば、極めて大切なことである。{30}
1-36-1
Ⅰ-37-1
This is all in art that one can attempt to teach. The emotional side is beyond the scope of teaching. You cannot teach people how to feel. All you can do is to surround them with the conditions calculated to stimulate any natural feeling they may possess. And this is done by familiarising students with the best works of art and nature.
これが芸術において、教えようとすることができる全てである。感情に関することは教えることの範囲外にある。人に感じ方を教えることはできない。できることと言えば、その自然な感情をうまく刺激するような環境のなかに学生を置いてやることだけだ。これは、芸術や自然の傑作に学生を親しませることによって行われる。
It is surprising how few art students have any idea of what it is that constitutes art. They are impelled, it is to be assumed, by a natural desire to express themselves by painting, and, if their intuitive ability is strong enough, it perhaps matters little whether they know or not.
驚くことに、ほとんどの美術の学生は、何が芸術を成り立たせているかについて分かっていない。思うに、彼らは、描くことで自分自身を表現したいという自然な思いに駆られているのだろう。彼らの直観力が十分に強ければ、このことを知っていようがいまいがたいして問題ではないだろう。
1-37-2
But to the larger number who are not so violently impelled, it is highly essential that they have some better idea of art than that it consists in setting down your canvas before nature and copying it.
しかし、感情に激しく動かされることのない大多数の学生にとって極めて重要なことは、芸術とは自然を前にキャンバスを据えてそれを模写すること、という考えよりもいくらかでもましな考えを持つことである。
1-38-1
Inadequate as this imperfect treatment of a profoundly interesting subject is, it may serve to give some idea of the point of view from which the following pages are written, and if it also serves to disturb the "copying theory" in the minds of any students and encourages them to make further inquiry, it will have served a useful purpose.
大いに興味深い問題をこのように不完全な形で取り扱ったのは適切ではないが、どのような視点から以降の内容が書かれているのか、いくらかでも把握するのに役立つだろう。また、これにより、「模写説」の考えを持っている学生がその考えに疑問をいだき、さらなる探求の道に進むことにでもなれば、意味のあることになるだろう。
もしこれが、学生がいだいている「摸写説」の考えに疑問をいだかせ、彼らをさらなる探求の道に進ませることになれば、有益な目的に適ったことになるだろう。
⚑ "copying theory" 訳語? “copy theory” 模写説(哲学用語)
これで第1章のおわりです。引き続き第2章に取りかかります。



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