2018年3月9日金曜日

著者 HAROLD SPEED について

経歴

著者のハロルド・スピード(Harold Speed)の名前を初めて目にして、美術全集や美術史にその名を探しましたが見つかりませんでした。しかし、Wikipediaに記事があり、略歴を知ることができます。記事によれば、
ハロルド・スピード(1872年2月11日ー1957年3月20日)イギリスの画家。油彩及び水彩を用い肖像画、人物画、歴史画を描いた。ロンドンに建築家を父として生まれ、始めロイヤル・カレッジ・オブ・アートで建築を専攻、間もなく絵画の道に進む。1891年から1896年までロイヤル・アカデミー・スクールに学び、1893年にはゴールドメダルを受賞、研修旅行奨学金を得る。1896年王立肖像画家協会 (the Royal Society of Portrait Painters) の会員に選出される。1893年よりロイヤル・アカデミーに出展、1907年初めての個展をレスターギャラリー(the Leicester Galleries)で開く。1930年ケンブリッジのウェスリーハウス(Wesley House)の新礼拝堂に絵を描く。オックスフォードシャー州ワトリントン及びロンドンに住み、1957年没。有益な助言とともに芸術修練の本質と意義に関する鋭い考察を合わせ持つことにより、彼の絵画と素描の指導書は長く画家にとって価値あるものとされてきた。 
1964年のテート・ギャラリーのカタログ『The modern British paintings, drawings and sculpture』の記載から補えば、ロイヤル・カレッジ・オブ・アートで学び始めたのは1887年、同校でも1890年に写生でゴールドメダルを得ています。ロイヤル・アカデミー・スクールの報奨金による研修旅行では1894年から翌年にかけてベルギー、フランス、イタリア、スペインを巡っています。1893年から始まったロイヤル・アカデミーへの出展はその後1943年まで続きます。王立肖像画家協会の会員に推挙されたのは1895年だとしています。1906年にはパリの国民美術協会 (the Société Nationale des Beaux-Arts) 会員となり、1916年アート・ワーカーズ・ギルド(The Art Workers' Guild)の会長に就任。1895-6年(当時23歳)にロイヤル・アカデミーのレストランの半円の壁にフレスコ画『秋 (Autumn)』を描いています。

画商Angela Hardyの『Burlington』のサイトによれば、生涯を通してロンドンに家を持ち、その後期はカムデン ヒル スクェア 23(23 Campden Hill Square)に所有、晩年は主にオックスフォードシャー州ワトリントン(Court Meadow, Watlington, Oxfordshire)で過ごし、そこで亡くなったとあります。

当時のイギリスの月刊美術雑誌『ザ・ステューディオ』("the Studio")にもスピードの名や作品がときおり出てきます。A.L. Baldryの寄稿から、スピードのヨーロッパ研修旅行の様子を詳しく知ることができます。各地でスケッチに励んだ有様など勤勉な学生として描かれています。また、在学当時から肖像画家として注目されていたとの記述もあります。(Studio:15, 1899) 。1908年のゴールドスミス・カレッジの紹介記事からは、その年に新しく開設される同校の絵画部門の教師として期待をもって招聘されたことが分かります(Studio:44,1908)。スピードの推薦コメントが使われた画材の広告もあります。知名度もあり、信頼を得ていた画家であったようです。だからこそ、本書の執筆も依頼されたのでしょう。

ウェスリーハウスの礼拝堂の壁画は、何故か今はありません。ウェスリーハウスのサイトで撤去前の写真と当時のリーフレットを見ることができます。ロイヤル・アカデミーのレストランの壁画はフレスコ画とありますが、キャンバスに油彩(1898年)のアカデミー所有の作品があります。別のものなのでしょうか。お食事をする機会のある方はご確認いただけるとありがたいです。なお、王立肖像画家協会が王立の資格を授けられたのはWikipediaによれば1911年。また、上記の「Court Meadow, Watlington, Oxfordshire」がどこを指すのか分かりません。

著書

著書は以下の3冊。"The Science and Practice of Drawing" (Seeley, Service and Co. Ltd. 1913)(本書です) :これはパブリックドメインとなっています。現在Doverから第3版をもとに再版されています。"The Science and Practice of Oil Painting" (Chapman and Hall Ltd. 1924): これもDoverから"Oil Painting Techniques and Materials" のタイトルで再版されています。"What is the Good of Art?" (G. Allen & Unwin, limited 1936):こちらは現在絶版となっています。これ以外にはないのでしょうか。スピードは「絵について書くより、描いている方がづっと楽しい」と述べてはいますが、言いたいことが沢山あった人です。他にも書いたものはあるでしょう。しかし本として出版されたのは上記の3冊のみと考えられます。3冊とも邦訳の出版はないと思います。

作品 

スピードの作品は、テイト(Tate)やナショナル・ポートレート・ギャラリーを始めとする主に英国内の美術館に所蔵があります。日本国内の美術館にはないのではないでしょうか。個人でお持ちの可能性はあると思います。いずれにしても私は実物の作品を見たことはありません。本書の図版に著者 の素描が何点か収められています。また、上記の美術館のサイトにも所蔵作品の画像が掲載されています。その他、ネットで画像検索すると、重複もありますが、多くの作品を見ることができます。なかでも『Art UK』のサイトには、50点余りの作品を整理して掲載してあるので有難いです。威儀を正した名士の肖像画が多くあります。イギリスの肖像画の伝統を感じさせます。風景画もあります。『ニュー・イングリッシュ・アート・クラブ』に集った画家たちに近いものを感じますが、いかがでしょうか。先の『Burlington』のサイトでは、スピードの若いころのヨーロッパ旅行が彼の絵にヨーロッパ古典(ヴェネチア派など)のニュアンスを与えたと言っています。『ザ・ステューディオ』誌は、当時のロイヤルアカデミー展評などでスピードの作品に高評価を与えています。作品がChristie'sなどのオークションに出品されることもあります。値を見ると数十万?から数百万円、絵画の価格はさっぱり分かりませんが、しかし画家というものは、死後もお金で評価され続ける因果な職業ではあります。

時代

夏目漱石がイギリスに留学したのがエリザベス朝最末期の1900年、Speedは当時28歳、ロンドンで画家として活動していました。二人がテイトギャラリーのミレーの絵の前ですれちがった可能性もなくはありません。スピードが画家の道に進み、制作を続けながら、教鞭をとり、本を書いていたこの19世紀末から20世紀初めは、イギリスの美術の状況はどのようなものだったのでしょうか。そして、スピードはその中で何を考え、どのような立ち位置にいた画家なのでしょうか。続きは後日別の頁で。


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