2018年3月25日日曜日

訳出:III. Vision 見えるということ

{38}
III
VISION
見えるということ
3-1-1
It is necessary to say something about Vision in the first place, if we are to have any grasp of the idea of form.
試訳 形とはなにかを理解しようとするならば、まず「見えること」について話しておく必要がある。
修正後 (修正なし)
AI:"have any grasp of" は「理解しようとするならば」でも通じますが、「少しでも把握しようとするならば」とすると、"any" のニュアンス(=どんな程度であれ)が出ます。

3-2-1
     An act of vision is not so simple a matter as the student who asked her master if she should "paint nature as she saw nature" would seem to have thought. And his answer, "Yes, madam, provided you don't see nature as you paint nature," expressed the first difficulty the student of painting has to face: the difficulty of learning to see.
試訳 「見えているように自然を描けばいいのでしょうか」と教師に問うた学生がるとすれば、見えるということは、その学生が考えているほど単純ではない。教師は答える、「そのとおりです、お嬢さん、もし貴女が描いているように自然を見ていないならば。」この答えは最初に絵を描く学生が直面する困難を物語っている。見えるということを学ぶ難しさである。
修正後 「見えているように自然を描けばいいのでしょうか」と教師に問うた学生がいたが、見えるということは、その学生が考えているほど単純ではない。教師は答える、「そのとおりです、もし貴女が描いているように自然を見ていないならば。」この答えは最初に絵を描く学生が直面する困難を物語っている。見えるということを学ぶ難しさである。
asked her master、would seem to 仮定法でしょうか?→AI:仮定法ではありません。原文は実際にあった出来事として書かれています。
⛾ 教師の答えは、何も答えていないのと同じです。この表現はいろいろ応用ができそうです。

3-3-1
     Let us roughly examine what we know of vision. Science tells us that all objects are made visible to us by means of light; and that white light, by which we see things in what may be called their normal aspect, is composed of all the colours of the solar spectrum, as may be seen in a rainbow; a phenomenon caused, as everybody knows, by the sun's rays being split up into their component parts.
試訳 見えることについて我々が知っていることを、ざっと検証してみよう。科学の教えるところでは、あらゆるものは光によって見える。白色光のもとでは、いわゆる普通の見え方で物が見え、それは虹に見られるように太陽スペクトルの全ての色から構成されている。周知のように、虹は太陽光がその構成要素に分かれて起きる現象である。
修正後 見えることについて我々が知っていることを、ざっと検証してみよう。科学の教えるところでは、あらゆるものは光によって見える。白色光のもとで、いわゆる普通の見え方で物が見えるのだが、それは虹に見られるように太陽スペクトルの全ての色から構成されている。周知のように、虹は太陽光がその構成要素に分かれて起きる現象である。
  • AI:原文は "white light, by which we see things in what may be called their normal aspect" と白色光が普通の見え方の原因であることを明示しています。訳文では「白色光のもとで」と因果関係が少し曖昧になっています。

3-4-1
     This light travels in straight lines and, striking objects before us, is reflected in all directions. Some of these rays passing through a point situated behind the lenses of the eye, strike the retina. The multiplication of these rays on the retina produces a picture of whatever is before the eye, such as can be seen on the ground glass at the back of a {39} photographer's camera, or on the table of a camera obscura, both of which instruments are constructed roughly on the same principle as the human eye.
試訳 光は直進し、眼前に在る物に当たり、あらゆる方向に反射する。その光の一部は、目のレンズの後ろに位置する一点を通過し、網膜に達する。網膜上でそれらの光が集まって、目の前にあるものが何であれ、その像を結ぶ。写真家が使うカメラの背部のすりガラスやカメラ・オブスキュラの平板上に見られるのと同じである。両者ともおおよそ人間の目と同じ原理でできている。
修正後 光は直進し、眼前に在る物体に当たり、あらゆる方向に反射する。その光の一部は、目のレンズの後ろに位置する一点を通過し、網膜に達する。網膜上でそれらの光が集まって、目の前にあるものが何であれ、その像を結ぶ。写真家が使うカメラの背部のすりガラスやカメラ・オブスキュラの平板上に見られるのと同じである。両者ともおおよそ人間の目と同じ原理でできている。
⚑ a point situated behind the lenses of the eyeとは何か→不明
⛾ カメラ・オブスキュラ

画家が利用しています(Wikipediaより)





3-5-1
     These rays of light when reflected from an object, and again when passing through the atmosphere, undergo certain modifications. Should the object be a red one, the yellow, green, and blue rays, all, in fact, except the red rays, are absorbed by the object, while the red is allowed to escape. These red rays striking the retina produce certain effects which convey to our consciousness the sensation of red, and we say "That is a red object."
試訳 これらの光は対象物から反射し、再び空間を進むとき、ある種の変化を受ける。対象物が赤だとすると、黄、緑、青、要するに、赤い光を除いて全ての光は対象物に吸収されてしまい、赤い光が反射される。この赤い光が網膜に達し、一定の効果が生じる。この効果が赤いという感覚を意識に伝え、そして言う、「あれは赤い。」
修正後 これらの光は対象物から反射し、さらに再び空間を進むとき、ある種の変化を受ける。対象物が赤だとすると、黄、緑、青、要するに、赤い光を除いた全ての光は対象物に吸収されてしまい、赤い光だけが反射される。この赤い光が網膜に達し、ある種の効果が生じる。この効果が赤いという感覚を意識に伝え、そして言う、「赤い色をしている。」
  • ⚑ rays of light:「光線」なのだが、「光」としました。
  • AI:"undergo certain modifications" "certain effects"の "certain" は「ある種の」という漠然とした限定で、Speedが意図的に曖昧にしている表現です。

3-5-2
But there may be particles of moisture or dust in the air that will modify the red rays so that by the time they reach the eye they may be somewhat different. This modification is naturally most effective when a large amount of atmosphere has to be passed through, and in things very distant the colour of the natural object is often entirely lost, to be replaced by atmospheric colours, as we see in distant mountains when the air is not perfectly clear. But we must not stray into the fascinating province of colour.
試訳 ところが、空気中に赤い光を変化させる水蒸気や埃の粒があると、目に届くまでには赤い光にいくらか違いが生じる。この変化は、多量の大気を通り抜けてきたとき、当然ながら最も効果が大きい。遠くに物があると、自然物の色は多くの場合すっかり失われ、大気の色に置き換わる。空気が十分に澄んでいないときの遠くに見える山のように。しかし、魅惑的な色の領域に迷い込むわけにはいかない。
修正後 試訳 ところが、空気中に水蒸気や埃の粒があると、赤い光は変化を受け、目に届くまでにはいくらか違いが生じる。この変化は、多量の大気を通り抜けてきたとき、当然ながら最も効果が大きい。遠くに物があると、物の本来の色は多くの場合すっかり失われ、大気の色に置き換わる。空気が十分に澄んでいないときの遠くに見える山のように。しかし、ここでは魅惑的な色の領域に迷い込むわけにはいかない。
  • ⚑ particles of (moisture or dust) か (particles of moisture) or dust か?前者としました。文法的に決定できるのでしょうか。→ AI文法的に後者も完全には排除できませんが、対称性と意味の自然さから前者が正しい読み方です。
  • AI:"the colour of the natural object"直訳すれば「自然の物体の色」ですが、文脈から「大気に影響される前の、物体が元来もつ色」という意味であることが読み取れるため、「本来の色」という訳が導かれます。

3-6-1
     What chiefly concerns us here is the fact that the pictures on our retinas are flat, of two dimensions, the same as the canvas on which we paint.
試訳 我々のここでの主な関心事は、網膜上の像は平面、つまり二次元であるということである。絵を描くキャンバスと変わらない。
修正後 (修正なし)

3-6-2
If you examine these visual pictures without any prejudice, as one may with a camera obscura, you will see that they are composed of masses of colour in infinite variety and complexity, of different shapes and gradations, and with many varieties of edges; giving to the eye the illusion of nature with actual depths and distances, although one knows all the time that it is a flat table on which one is looking.
試訳 もし先入観を持たずにその視覚像を、カメラオブスクラを使うときのように吟味すると、それは無限に豊かで複雑な色と、様々な形やグラデーションから成り、多様な稜線があるのが見て取れるだろう。見ているのは平面だと分かってはいても、実際に奥行きと広がりを持った自然の錯覚像が目に見える。
修正後 もし先入観を持たずにその視覚像を、カメラオブスクラを使うときのように吟味すると、それは無限に多様で複雑な色の塊と、様々な形やグラデーションから成り、多様な境目があるのが見て取れるだろう。見ているのは平面だと分かってはいても、実際に奥行きと遠近感を持った自然の錯覚像が目に映る。
  • ⚑ as one may with a camera obscura これは前に係るのか、後ろに係るのか?前に係るものとして訳しました。文法的に決定できるのでしょうか。→AI:厳密には文法だけでは決定できません。「どのように吟味するか」の説明として前に係るのが意味的に自然です。
  • ⚑ they are composed of masses of colour in infinite variety and complexity, of different shapes and gradations, and with many varieties of edges:この文章の構造は。AI: "with many varieties of edges" だけが "of" ではなく "with" になっています。これは "composed of" との対応から外れており、「色の塊が多様なエッジをともなっている」という付帯状況を表していると考えられます。
  • ⚑ edgeの訳は→AI:絵画の文脈では "edges" は色の塊と塊の境界を指し、はっきりしたエッジ、ぼんやりしたエッジなど様々な種類があります。

3-7-1
     Seeing then that our eyes have only flat pictures containing two-dimension information about the {40} objective world, from whence is this knowledge of distance and the solidity of things? How do we see the third dimension, the depth and thickness, by means of flat pictures of two dimensions?
試訳 対象世界について目が有するのは、二次元情報のみのただの平面像にすぎないとすると、それでは、物の距離とか立体性の認識はどこからくるのか。二次元の平面像から、どのようにして三次元、つまり奥行や厚みが見えるのか。
修正後 客観世界について目が有するのは、二次元情報のみのただの平面像にすぎないとすると、それでは、物の距離とか立体性の認識はどこからくるのか。二次元の平面像から、どのようにして三次元、つまり奥行や厚みが見えるのか。
  • ⚑ see:斜字体です。何故か?→AI:英語では特定の語を強調するためにイタリック体を使います。

3-8-1
     The power to judge distance is due principally to our possessing two eyes situated in slightly different positions, from which we get two views of objects, and also to the power possessed by the eyes of focussing at different distances, others being out of focus for the time being. 
試訳 距離を判断する能力は主に、人が少し離れた二つの目を持っていることによる。そこから対象の二つの映像を得る。さらに、目には、個々の距離に焦点を合わせることのできる能力がある。その間、他の距離に焦点が合うことはない。
修正後 距離を判断する能力は、主に二つの目が少し離れていることによる。そこから対象の二つの像を得る。さらに、目には、個々の距離に焦点を合わせることのできる能力がある。その間、他の距離に焦点が合うことはない。
  • ⚑ others:other objects か other distancesか? 後者と解しました。
  • ⚑ different:「個々の」

3-8-2
In a picture the eyes can only focus at one distance (the distance the eye is from the plane of the picture when you are looking at it), and this is one of the chief causes of the perennial difficulty in painting backgrounds. 
試訳 絵を見るときには、目は一つの距離(絵を見ているときの絵の表面から目までの距離)にしか焦点を合わせることができない。これが背景を描く時に繰り返しぶつかる難題の主な原因のひとつである。
修正後 絵を見るときには、目は一つの距離(絵の表面から目までの距離)にしか焦点を合わせることができない。これが背景を描く時に繰り返しぶつかる難題の主な原因のひとつである。

3-8-3
In nature they are out of focus when one is looking at an object, but in a painting the background is necessarily on the same focal plane as the object. Numerous are the devices resorted to by painters to overcome this difficulty, but they do not concern us here.
試訳 自然を見るときには、一つの対象を見ると背景には焦点が合わない。しかし絵では、背景はどうしても対象と同じ焦点面にある。この難点を克服するために、画家はおびただしい工夫をこらしたが、ここでは関わらない。
修正後 自然の中では、一つの対象を見ると背景には焦点が合わない。しかし絵では、背景はどうしても対象と同じ焦点面にある。この難点を克服するために、画家はおびただしい工夫をこらしたが、ここでは立ち入らない。
  • AI:「ここでは関わらない」はやや唐突な印象があります。「ここでは立ち入らない」とするとより自然かもしれません。

3-9-1
     The fact that we have two flat pictures on our two retinas to help us, and that we can focus at different planes, would not suffice to account for our knowledge of the solidity and shape of the objective world, were these senses not associated with another sense all important in ideas of form, the sense of touch.
試訳 人が、二つの網膜上に有用な二つの平面像を持つこと、そして個々の面に焦点を合わせることができること、この二つのみでは、対象世界が持つ立体性とかたちの両者を捉える認識力を説明するには十分とは言えないであろう。それには、形の概念を形成するうえで不可欠のもう一つの感覚と連携させる必要がある。その感覚とは触覚である。
修正後 人が、二つの網膜上に有用な二つの平面像を持つこと、そして個々の面に焦点を合わせることができること、この二つのみでは、対象世界が持つ立体性とかたちの両者を捉える認識力を説明するには十分とは言えないであろう。それには、形の概念を形成するうえで極めて重要なもう一つの感覚と連携させる必要がある。その感覚とは触覚である。
AI:"all important" (きわめて重要な)のニュアンスが「不可欠の」では少し強すぎるかもしれません。
⚑ to help us:どう訳せばいいのか。しっくりしません。AI:述語的に処理する「二つの網膜上の二つの平面像が助けになるとしても」
⚑ solidity:「固さ」?、「立体性」としました。AI:「立体性」は適切な訳です。
⚑ shape と form が使い分けられています。「かたち」と「形」としてみました。AI:"shape" を「かたち」、"form" を「形」と使い分けたあなたの判断は、原文の意図をよく捉えた適切な選択だと思います。

3-10-1
     This sense is very highly developed in us, and the earlier period of our existence is largely given over to feeling for the objective world outside ourselves. Who has not watched the little baby hands feeling for everything within reach, and without its reach, for the matter of that; for the infant has no knowledge yet of what is and what is not within its reach.
試訳 私たちはこの感覚を高度に発達させている。生まれたばかりの時期は、もっぱら自分の外の世界を手探りすることに充てられる。赤ん坊が手の届くところなら何でも、手当たりしだいに触っているのを見たことがない人はいないだろう。もっと言えば手の届かないところまで手探りしている。赤ん坊は何が手の届く所にあり、何が届かないところにあるのかまだ分からないからである。
修正後 我々はこの感覚を高度に発達させている。初期段階では、もっぱら自分の外の世界を手探りすることに充てられる。赤ん坊が手の届くところなら何でも、手当たりしだいに触っているのを見たことがない人はいないだろう。もっと言えば手の届かないところまで手探りしている。赤ん坊は何が手の届く所にあり、何が届かないところにあるのかまだ分からないからである。
  •  AI:"is very highly developed in us" は受動態であり、人間が意図的に発達させたのではなく、自然にそのように発達しているという意味です。その点では「私たちの中に高度に発達している感覚である」とする方が原文に忠実です。
  • ⚑ who:修辞疑問だと思うのですが、疑問符が付かないこともあるのでしょうか。AI:修辞疑問文に疑問符が付かないことは文法的に誤りではなく、文体上の選択として十分成立します。

3-10-2
Who has not offered some bright object to a {41} young child and watched its clumsy attempts to feel for it, almost as clumsy at first as if it were blind, as it has not yet learned to focus distances. And when he has at last got hold of it, how eagerly he feels it all over, looking intently at it all the time; thus learning early to associate the "feel of an object" with its appearance.
試訳 誰しも目にしたことがあると思うが、赤ん坊にはっきりした色をした物を与えると、たどたどしくそれに触ろうとする。初めは目がみえないのかと思われるほどぎこちない。まだ焦点を合わせられないのである。やっとそれを掴むと、今度は夢中になって撫でまわしながら、その間ずっとそれを見つめている。こうして早い段階で、物の感触とその見える様子を結びつける。
修正後 誰しも目にしたことがあると思うが、赤ん坊にはっきりした色をした物を与えると、たどたどしくそれに触ろうとする。初めは目がみえないのかと思われるほどぎこちない。まだ焦点を合わせられないのである。やっとそれを掴むと、今度は夢中になって撫でまわしながら、その間ずっとそれを見つめている。こうして早い段階で、「物の感触」とその見え方を結びつける。

3-10-3
In this way by degrees he acquires those ideas of roughness and smoothness, hardness and softness, solidity, &c., which later on he will be able to distinguish by vision alone, and without touching the object.
試訳 このようにして、徐々に赤ん坊は粗さや滑らかさ、固さや柔らかさ、立体性などの手触りを身につける。やがて、見ただけで、触らなくてもその区別がつくようになるだろう。
修正後 このようにして、徐々に赤ん坊は粗さや滑らかさ、固さや柔らかさ、立体性などの概念を身につける。やがて、見ただけで、触らなくてもその区別がつくようになるだろう。
  • "those ideas of roughness and smoothness..." の "ideas" は「手触り」ではなく「概念」です。触覚で得た感覚が概念として内面化されるというSpeedの主張が重要です。
  • 「なるだろう」の「だろう」は推量のニュアンスが出ますが、これは法則・習性のwillなので「なるものだ」あるいは「なる」と訳す方が厳密です。⚑ :「未来形」のニュアンスを含めて「だろう」と訳しました。AI:未来のニュアンスを含めて「だろう」と訳す方がむしろ適切です。私の指摘が不正確でした。

3-11-1
     Our survival depends so much on this sense of touch, that it is of the first importance  to us. We must know whether the ground is hard enough for us to walk on, or whether there is a hole in front of us; and masses of colour rays striking the retina, which is what vision amounts to, will not of themselves tell us.
試訳 人が生き残れるかどうかはこの触覚に大きくかかっている。だから触覚は我々にとって最重要ということができる。地面が歩くのに十分な固さがあるのか、あるいは前方に穴がないかを我々は知らねばならない。網膜に達する多数の光の色、それが見えるものの全てなのだが、それ自体からは何もわからない。
修正後 人の生存はこの触覚に大きくかかっている。だから触覚は我々にとって最重要ということができる。地面が歩くのに十分な固さがあるのか、あるいは前方に穴がないかを我々は知らねばならない。網膜に達する色の光の集まり、それが見えるものの全てなのだが、それ自体からは何もわからない。
⚑ colour ray:「色の光線」、「カラー光」、ぴったりした訳がみつからないので、「光の色」としました。AI:"masses of colour rays" を「多数の光の色」と訳していますが、「色の光線の集まり」の方が原文に近いと思います。"masses" は量の多さではなく塊・まとまりのニュアンスがあります。


3-11-2
But associated with the knowledge accumulated in our early years, by connecting touch with sight, we do know when certain combinations of colour rays strike the eye that there is a road for us to walk on, and that when certain other combinations occur there is a hole in front of us, or the edge of a precipice.
試訳 しかし、幼いころに蓄積した知識と関係づけ、触覚と視覚を結びつけることによって、光の色の特定の組み合わせが目に届いたとき、歩いて行ける道があると確かに分かり、さらに他の組み合わせが生じると、前方に穴があるとか、断崖になっていると分かる。
修正後 (修正なし)
  • 「光の色の特定の組み合わせ」は "certain combinations of colour rays" の訳ですが、「色の光線の特定の組み合わせ」とする方が "colour rays"(色の光線)のニュアンスに近いと思います。

3-12-1
     And likewise with hardness and softness, the child who strikes his head against the bed-post is forcibly reminded by nature that such things are to be avoided, and feeling that it is hard and that hardness has a certain look, it avoids that kind of thing in the future.
試訳 柔らかさと固さについても同様で、子供がベッドの柱に頭をぶつけると、そのような物は避けるべきだと、教わらなくとも力ずくで知ることになる。それは固く、固いものは特定の見え方があると感じて、次からそのような物は避ける。
修正後 柔らかさと固さについても同様で、ベッドの柱に頭をぶつけるた子供は、そのような物は避けるべきだと、教わらなくとも力ずくで知ることになる。それは固く、固いものは特有の見た目があると感じて、次からそのような物は避けるようになる。

3-12-2
And when it strikes its head against the pillow, it learns the nature of softness, and associating this sensation with the appearance of the pillow, knows in future that when softness is observed it need not be avoided as hardness must be.
試訳 また子供が枕に頭を当てると、柔らかい物の性質を学び、この感覚を枕の姿と結びつけ、その後、柔らかさを認めると、固いときのようには避けなくてもよいと知る。
修正後 また子供が枕に頭を当てると、柔らかい物の性質を学び、この感覚を枕の見た目と結びつけ、その後、柔らかいと見てとれるものは、固いときのようには避けなくてもよいと分かるようになる。

3-13-1
    {42} Sight is therefore not a matter of the eye alone. A whole train of associations connected with the objective world is set going in the mind when rays of light strike the retina refracted from objects.
試訳 したがって、視覚というものは、ただ目だけの問題にとどまらない。対象から反射された光が網膜に届くとき、対象世界に結びついた一連の想いが心に浮かんでくる。
修正後 したがって、視覚というものは、ただ目だけの問題にとどまらない。対象から反射された光が網膜に届くとき、対象世界に結びついた一連の思いが心の中で動き始める。
  • ⚑ associations:「想い」と訳してみました。
  • AI:"Set going":「(機械などが)動き出す」「始動する」という意味です。
  • AI:"refracted""refracted" は屈折、"reflected" は反射で、厳密には異なります。ただし「反射」でも意味は通じます。

3-13-2
And these associations vary enormously in quantity and value with different individuals; but the one we are here chiefly concerned with is this universal one of touch. Everybody "sees" the shape of an object, and "sees" whether it "looks" hard or soft, &c. Sees, in other words, the "feel" of it.
試訳 この想いというのは、その量や意味するものが個人によって非常に異なる。しかし、ここでは、だれにでも共通する触感を主に取り扱う。誰もが物の形を「見る。」そしてそれが固く「見える」とか柔らく「見える」とかを「見る。」見ることは、言葉を変えればそれに「触れる」ことなのである。
修正後 この思いというのは、その量や意味するものが個人によって非常に異なる。しかし、ここでは、だれにでも共通する触感を主に取り扱う。誰もが物の形を「見る。」そしてそれが固く「見える」とか柔らく「見える」とかを「見る。」見ることは、言葉を変えればそれに「手触りを見る」ことなのである。
  • ⚑ feel:「感じる」とするか「触れる」とするか迷います。
  • AI:"Sees, in other words, the 'feel' of it" は「その手触りを見る」であり、「見ること=触れること」とまでは言っていません。

3-14-1
     If you are asked to think of an object, say a cone, it will not, I think, be the visual aspect that will occur to most people. They will think of a circular base from which a continuous side slopes up to a point situated above its centre, as one would feel it. The fact that in almost every visual aspect the base line is that of an ellipse, not a circle, comes as a surprise to people unaccustomed to drawing.
試訳 ある形、例えば円錐を思い浮かべるよう言われたとする。大抵の人の頭に浮かぶのは、目に映る有様ではないと思う。思い浮かべるのは、あたかも円錐に触れるかのように、円形の底面とそこから上方中央の点まで伸びる連続した斜面だろう。実際は、目に映る像の底面はたいてい楕円であって円ではないと知って、素描に不慣れな人は驚くことだろう。
修正後 ある形、例えば円錐を思い浮かべるよう言われたとする。大抵の人の頭に浮かぶのは、目に映る有様ではないと思う。思い浮かべるのは、あたかも円錐に触れるかのように、円形の底面とそこから上方中央の点まで伸びる連続した斜面だろう。実際は、目に映る像の底面は、ほぼあらゆる視点から見ると楕円であって円ではないと知って、素描に不慣れな人には意外な驚きとなる。
  • "in almost every visual aspect" 「ほぼあらゆる視点から見ると」とするとより原文に近くなります。
3-15-1
     But above these cruder instances, what a wealth of associations crowd in upon the mind, when a sight that moves one is observed. Put two men before a scene, one an ordinary person and the other a great poet, and ask them to describe what they see. Assuming them both to be possessed of a reasonable power honestly to express themselves, what a difference would there be in the value of their descriptions.
試訳 しかし、これら直接的な例はさておき、感動を誘う光景を目にすると、何と豊かな想いが次々と湧いてくることか。ある光景を前に二人の人を立たせる。一人は普通の人で、一人は偉大な詩人とする。二人に見える物を描写してもらう。二人とも思うところをそのとおりに表現する力があると仮定すると、彼らが記述する意味合いは驚くほど違ったものになるだろう。
修正訳 しかし、これら直接的な例はさておき、感動を誘う光景を目にすると、何と豊かな思いが次々と湧いてくることか。ある光景を前に二人の人を立たせる。一人は普通の人で、一人は偉大な詩人とする。二人に見える物を描写してもらう。二人とも思うところをそのとおりに表現する力があると仮定すると、彼らが記述する意味合いは驚くほど違ったものになるだろう。
⚑ But above these cruder instances:これをどう訳したらよいのだろう。このパラグラフは話が脱線しているところなので、それが分かるようにしたいのですが、うまくいきません。とくにabove の訳し方。
⚑ what:感嘆と解しましたが、文法書に what名詞+V の例がみつかりません。→AI:"What a difference there would be!" の倒置形です。
⚑ 感嘆分を直訳して、そのまま訳文に入れると、どうも収まりがわるくなります。

3-15-2
Or take two painters both equally gifted in the power of expressing their visual perceptions, and put them before the scene to paint it. And assuming one to be a commonplace man and the other a great artist, what a difference will there be in their work. The commonplace painter will paint a commonplace picture, while the form and colour will be the means of stirring deep associations {43} and feelings in the mind of the other, and will move him to paint the scene so that the same splendour of associations may be conveyed to the beholder.
試訳 あるいは、二人の画家がいる。二人とも見たものを表現できる才能がある。二人は風景を前にしてそれを描く。一人は凡人で、一人は偉大な芸術家だとすると、その作品には何とも大きな違いが出ることだろう。平凡な画家は平凡な絵を描くだろう。一方、大画家にとって形と色は、自分の心の中に深い思いと感情を呼び起こし、絵を見る者に同じ想いの素晴らしさを伝えようと、制作へ駆り立てるものなのである。
修正後 あるいは、二人の画家がいる。二人とも見たものを表現できる才能がある。二人は風景を前にしてそれを描く。一人は凡人で、一人は偉大な芸術家だとすると、その作品には何とも大きな違いが出ることだろう。平凡な画家は平凡な絵を描くだろう。一方、大画家にとって形と色は、自分の心の中に深い思いと感情を呼び起こし、見る者に同じ思いの素晴らしさが伝わるよう制作へと駆り立てるものである。




Plate VII.
STUDY FOR THE FIGURE OF APOLLO IN THE PICTURE "APOLLO AND DAPHNE"
In natural red chalk rubbed with finger; the high lights are picked out with rubber.
図版 VII.
「アポロとダフネ」のアポロの姿態のための習作
試訳 指で擦ったナチュラルレッドチョーク、ハイライトは消しゴムを使用
修正後 (修正なし)
  •  "picked out with rubber" の「取り出す」というニュアンスが省かれています。「ハイライトは消しゴムで取り出した」とするとより原文に近くなります。
⛾ スピードにも、この古典的主題の作品があるのでしょうか。この素描の完成作品を私は見たことがありません。

3-6-1
     But to return to our infant mind. While the development of the perception of things has been going on, the purely visual side of the question, the observation of the picture on the retina for what it is as form and colour, has been neglected—neglected to such an extent that when the child comes to attempt drawing, sight is not the sense he consults.
試訳 ここで、先の赤ん坊の話へ戻ろう。知覚は発達してきているが、問題の純粋に視覚的な側面、すなわち、網膜上の像を形と色としてあるがままに捉えることはずっと疎かにされてきた。その結果、子供が絵を描こうとするようになると、視覚はたよりにされない感覚である
修正後 ここで、先の赤ん坊の話へ戻ろう。知覚は発達してきているが、論点である純粋に視覚的な側面、すなわち、網膜上の像を形と色としてあるがままに捉えることはずっと疎かにされてきてしまった。そのため、子供が絵を描こうとするようになると、視覚はたよりにされない。
  • "to such an extent that" 原文は「それほどまでにおろそかにされてきたため」という程度と原因を示しています。「その結果」だと因果関係は伝わりますが、「それほどまでに」という程度のニュアンスが薄れます。

3-16-2
The mental idea of the objective world that has grown up in his mind is now associated more directly with touch than with sight, with the felt shape rather than the visual appearance. So that if he is asked to draw a head, he thinks of it first as an object having a continuous boundary in space. This his mind instinctively conceives as a line.
試訳 子供の心の中で成長してきた対象世界に関する心理的概念は、今や、見ることよりも触ることに、目に映る像よりも触った形に、直接的に結びついている。だから、子供が顔を描くように言われると、初めは、空間の中で連続した境界を持つ対象として思い浮かべる。子供は、これを本能的に線として捉える。
修正後 子供の心の中で育ってきたまわりの世界に対する観念的認識は、今や、見ることよりも触ることに、目に映る像よりも触った形に、直接的に結びついている。だから、子供が顔を描くように言われると、初めは、空間の中で連続した境界を持つ対象として思い浮かべる。子供は、これを本能的に線として捉える。

3-16-3
Then, hair he expresses by a row of little lines coming out from the boundary, all round the top. He thinks of eyes as two points or circles, or as points in circles, and the nose either as a triangle or an L-shaped line. If you feel the nose you will see the reason of this. Down the front you have the L line, and if you feel round it you will find the two sides meeting at the top and a base joining them, suggesting the triangle.
試訳 次に髪の毛、子供はこれを、頭頂に沿った境界線から伸びて並んだ短い線で表現する。目は二つの点か円、あるいは点を囲んだ円として考える。鼻は三角形かL字形となる。鼻を触ってみれば合点できるだろう。前方から下へと触ればL字の線がある。次に鼻の周りを触ると、二つの側面が先端で交わり、底部がそれをつないで、三角形を思わせる。
修正後 次に髪の毛、子供はこれを、頭頂に沿った境界線から伸びて並んだ短い線で表現する。目は二つの点か円、あるいは円の中の点として考える。鼻は三角形かL字形となる。鼻を触ってみれば合点できるだろう。前方から下へと触ればL字の線がある。次に鼻の周りを触ると、二つの側面が先端で交わり、底部がそれをつないで、三角形を思わせる。
  • ⚑ 「あるいは円の中の点として考える。」「あるいは点を囲んだ円として考える。」どちらが良いでしょう→AI:「円の中の点として考える」が原文に忠実で、かつ子どもの目の描き方の実態にも合っています。

3-16-4
The mouth similarly is an opening with a row of teeth, which are generally shown although so seldom seen, but always apparent if the mouth is felt (see diagram A).
試訳 同じく、口は穴として描かれ、歯が一列に並んでいる。歯はたいてい描かれているが、実際はめったに見えるものではない。しかし口に触るとはっきり分かる(図A)。
修正後 (修正なし)
  • AI:"which are generally shown although so seldom seen" 逆接のニュアンスをより強調するために「見えないにもかかわらず、たいてい描かれる」とするとSpeedの観察の鋭さがより伝わります。

3-16-5
This is, I think, a fair type of the first drawing the ordinary child makes—and judging by some ancient scribbling of the same order I remember noticing scratched on a wall at Pompeii, and by savage drawing generally, it appears to be a fairly universal {44} type.
試訳 以上が普通の子供が最初に描く絵のおよその典型例ではないかと思う。ポンペイの壁にひっかいて描いてあるのを目にしたことがあるのだが、古代の同種の落書きや、未開人の絵に広く見られるものから考えると、これはかなり普遍的な型に思われる。
修正後 以上が普通の子供が描く最初の絵の典型例ではないかと思う。ポンペイの壁にひっかいて描いてあるのを目にしたことがあるのだが、古代の同種な落書きや、原始の民族の絵と照らし合わせると、これはかなり普遍的な類型に思われる。
  • 「古代の同様な落書きや、原始の民族の絵に広く見られるものから考えると」はやや長く、読みにくい印象があります。「古代の同種の落書きや原始の民族の絵と照らし合わせると」と簡潔にする方が読みやすいかもしれません。

3-16-6
It is a very remarkable thing which, as far as I know, has not yet been pointed out, that in these first attempts at drawing the vision should not be consulted. A blind man would not draw differently, could he but see to draw.
試訳 私の知る限り、これまで指摘されることがなかったが、絵を描き始める最初の頃は、見えるということを手掛かりとしないということである。これは大いに注目すべきことと言ってよい。仮に目の見えない人が目が見えて絵を描くとすれば、同じような描き方になるだろう。
修正後 私の知る限り、これまで指摘されることがなかったが、絵を描き始める最初の頃は、視覚を手掛かりとしないということである。これは大いに注目すべきことと言ってよい。仮に目の見えない人が目が見えて絵を描くとすれば、同じような描き方になるだろう。
⚑ should:「感情的なshould」(『英文法解説』江川泰一郎)か?→AI:まさに感情的なshouldの典型的な用法です。

3-16-7
Were vision the first sense consulted, and were the simplest visual appearance sought after, one might expect something like diagram B, the shadows under eyes, nose, mouth, and chin, with the darker mass of the hair being the simplest thing the visual appearance can be reduced to.
試訳 見えるということを感覚として第一に重視して、最も単純に目に映るように描くと、図Bのようなものになるのではないか。目、鼻、口、顎の下の影、髪の暗い塊、これが目に映る像を可能な限り簡略なものにまとめたということができる。
修正後 視覚を第一に重視して、最も単純に目に映るように描くと、図Bのようなものになるのではないか。目・鼻・口・顎の下の影、髪の暗い塊、これが目に映る像を可能な限り簡略なものにまとめたということができる。
  • "the shadows under eyes, nose, mouth, and chin" の列挙が「目、鼻、口、顎の下の影」と訳されていますが、影は顎の下だけでなく目・鼻・口・顎それぞれの下にあります。

3-16-8
But despite this being quite as easy to do, it does not appeal to the ordinary child as the other type does, because it does not satisfy the {45} sense of touch that forms so large a part of the idea of an object in the mind. All architectural elevations and geometrical projections generally appeal to this mental idea of form.
試訳 しかし、この描き方は、もう一つのやり方と同じく簡単なのだが、普通の子供の気を引かない。心の中の対象の概念の大きな要素を形成する触覚を満足させないからである。建築の立面図や幾何学の投影図は、一般的にこの形の観念的概念に訴える。
修正後 しかし、この描き方は、もう一つのやり方と同じく簡単なのだが、そこまで宇通の子供の気を引かない。なぜなら、触角を満足させないからである。触覚は対象の概念を形成するうえで大きな部分を占める。建築の立面図や幾何学の投影図は、一般的にこの形の観念的認識を反映している。
  • 「この形の概念に訴える」の「訴える」はやや強い印象があります。「この形の概念を反映している」とするとより自然かもしれません。
3-16-9
They consist of views of a building or object that could never possibly be seen by anybody, assuming as they do that the eye of the spectator is exactly in front of every part of the building at the same time, a physical impossibility.
試訳 そこに描かれた図面は、おそらく誰にも見ることのないような建物や立体の姿である。それは、見る者の目が建物のすべての部分に対して同時に真正面にあると想定している。物理的に不可能と言える。
修正後 そこに描かれた図面は、誰も決して見ることのないような建物や立体の光景を示している。それは、見る者の目が建物のすべての部分に対して同時に真正面にあると想定している。物理的に不可能と言える。

3-16-10
And yet so removed from the actual visual appearance is our mental idea of objects that such drawings do convey a very accurate idea of a building or object. And of course they have great advantage as working drawings in that they can be scaled.
それでも、対象の観念的認識は、実際の目に映るものとはかけ離れているので、かえってこのような絵は、建物や対象物の正確な認識を伝える。もとより、図面として測れるという点で極めて役に立つ。


Diagram I.
A,TYPE OF FIRST DRAWING MADE BY CHILDREN, SHOWING HOW VISION HAS NOT BEEN CONSULTED
B,TYPE OF WHAT MIGHT HAVE BEEN EXPECTED IF CRUDEST EXPRESSION OF VISUAL APPEARANCE HAD BEEN ATTEMPTED
図 I.
試訳
A、 子供が初めて描く絵のタイプ 見えるということを考慮していないことを示す
B、 目に映る像を大まかに表現しようとしたとすると、考えられるタイプ
修正後
A、 子供が初めて描く絵の典型例 見えるということを考慮していないことを示す
B、 目に映る像を大まかに表現しようした場合、考えられる典型例

3-17-1
     If so early the sense of vision is neglected and relegated to be the handmaiden of other senses, it is no wonder that in the average adult it is in such a shocking state of neglect. I feel convinced that with the great majority of people vision is seldom if ever consulted for itself, but only to minister to some other sense.
試訳 そんなに早いうちに視覚がなおざりにされ、他の感覚のしもべに追いやれているとすると、一般の大人たちの間で、視覚というものが驚くほど軽視されているのも不思議ではない。大多数の人にとって、視覚が考慮されるのは、他の感覚を補助するためにすぎず、それ自身のために顧慮されることなどめったにないと確信している。
修正後 そんなに早いうちに視覚がなおざりにされ、他の感覚のしもべに追いやられているとすると、一般の大人たちの間で、視覚というものが驚くほど軽視されているのも不思議ではない。大多数の人にとって、視覚が考慮されるのは、他の感覚を補助するためにすぎず、それ自身のために顧慮されることなどめったにない、と私は確信している。

3-17-2
They look at the sky to see if it is going to be fine; at the fields to see if they are dry enough to walk on, or whether there will be a good crop of hay; at the stream not to observe the beauty of the reflections from the blue sky or green fields dancing upon its surface or the rich colouring of its shadowed depths, but to calculate how deep it is or how much power it would supply to work a mill, how many fish it contains, or some other association  alien to its visual aspect.
試訳 晴れるかどうか空を見る。野原では、その上を歩いても大丈夫なほど乾いているか、牧草がよくできているかを見る。川を見ても、水面に青空や緑野を映して揺らめく美しさや、影になった淵の豊かな色合いに見入ることはない。ただ、川がどれほど深いのか、水車を回すとどれくらい動力が得られるか、どれくらい魚がいるのかなど、見た目とは無関係の事柄を確かめるにすぎない。
修正後 人々は、晴れるかどうか空を見る。野原では、その上を歩いても大丈夫なほど乾いているか、牧草がよくできているかを見る。川を見ても、水面に青空や緑野を映して揺らめく美しさや、影になった淵の豊かな色合いに見入ることはない。ただ、川がどれほど深いのか、水車を回すとどれくらい動力が得られるか、どれくらい魚がいるのか、あるいは見た目とは無関係の事柄を確かめるにすぎない。
  • "They look at" という主語が訳文では省略されています。文脈から明らかなので問題ありませんが、「人々は」と明示すると3-17-1からの流れがより明確になります。
3-17-3
 If one looks up at a fine mass of cumulus clouds above a London street, the ordinary passer-by who follows one's gaze expects to see a balloon or a flying-machine at least, and when he sees it is only clouds he is apt to wonder what one is gazing at. The beautiful {46} form and colour of the cloud seem to be unobserved. Clouds mean nothing to him but an accumulation of water dust that may bring rain.
試訳 ロンドンの街路の上に浮かんでいる見事な綿雲を見上げていると、通りすがりの人は、気球か飛行船でも見えるのかと視線の先を追い、雲しか見えないと、何を見ているのだろうと訝しがる。雲の美しい形と色は見向きもされないと言ってよいだろう。雲は、その人にとって雨を降らせる水蒸気の集まりでしかない。
修正後 ロンドンの街路の上に浮かんでいる見事な綿雲を見上げていると、通りすがりの人は、気球か飛行機でも見えるのかと視線の先を追い、雲しか見えないと、何を見ているのだろうと訝しがる。雲の美しい形と色は見向きもされないと言ってよいだろう。雲は、その人にとって雨を降らせる水蒸気の集まりでしかない。
  • AI:"flying-machine" は当時(20世紀初頭)の飛行機を指しています。「飛行機」とする方が時代感が出るかもしれません。飛行船(Airship / Dirigible)

3-17-4
This accounts in some way for the number of good paintings that are incomprehensible to the majority of people. It is only those pictures that pursue the visual aspect of objects to a sufficient completion to contain the suggestion of these other associations, that they understand at all. Other pictures, they say, are not finished enough.
試訳 このことが、大多数の人に理解できない名画が数多く在るのを、ある意味説明する。彼らがとにかくも理解する絵とは、上に挙げた様々なことを思わせるほどに対象の外観を描きあげた絵に限られる。そうでない絵は、彼らに言わせれば、未完成なのである。
修正後 このことが、大多数の人に理解できない優れた絵画が数多く在るのを、ある程度説明する。彼らがとにかくも理解する絵とは、上に挙げた様々なことを思わせるほどに対象の外観を描き込んだ絵に限られる。そうでない絵は、彼らに言わせれば、未完成なのである。
⚑ accounts in some way for the number of 「~の数を説明する」?、そのまま訳しました。

3-17-5
And it is so seldom that a picture can have this petty realisation and at the same time be an expression of those larger emotional qualities that constitute good painting.
試訳 このささいなものを描写しながら、同時に、名画を成り立たせているより大きな、あの感情的特性を表現している絵などめったにあるものではない。
修正後 この些末なものを描写しながら、同時に、優れた絵画を成り立たせているより大きな、あの感情的特質を表現している絵などめったにあるものではない。

3-18-1
     The early paintings of the Pre-Raphaelite Brotherhood appear to be a striking exception to this. But in their work the excessive realisation of all details was part of the expression and gave emphasis to the poetic idea at the basis of their pictures, and was therefore part of the artistic intention.
試訳 ラファエル前派の初期の絵は、すばらしい例外に思える。彼らの作品では、あらゆる細部の度を越えた描写は、表現の一部であり、彼らの絵の根底にある詩的な着想を強調したがゆえに芸術的意図の一部であった。
修正後 ラファエル前派の初期の絵は、すばらしい例外に思える。彼らの作品では、あらゆる細部の度を越えた描写は、表現の一部であり、彼らの絵の根底にある詩的な着想を強調した。それゆえ芸術的意図の一部であったのである。
  • あなたの訳では「表現の一部であり、~芸術的意図の一部であった」と両者が並列になっていますが、"therefore"(したがって)という因果関係が少し薄れています。
⛾ ラファエル前派:1848年にイギリスで始まった絵画の革新運動の団体。19世紀末には創立メンバーのミレーがロイヤル・アカデミーの会長に就任するなど確固たる評価を受けていました。

3-18-2
In these paintings the fiery intensity with which every little detail was painted made their picture a ready medium for the expression of poetic thought, a sort of "painted poetry," every detail being selected on account of some symbolic meaning it had, bearing on the poetic idea that was the object of the picture.
試訳 それらの絵においては、細部をことごとく描写するその熱烈さが詩的な思想の表現にとっては好都合となった。それはある種「描かれた詩」とも言うことができ、全ての細部はそれが持つある象徴的意味のために選ばれ、絵画の目的であった詩的な意味を帯びていた。
修正後 これらの絵においては、細部をことごとく描写するその熱烈さが詩的な思想の表現にとって好都合となった。それはある種「描かれた詩」とも言うことができ、全ての細部はそれが持つ象徴的意味のために選ばれ、絵画の目的であった詩的な意味に関係していた。
  • "bearing on" は「意味を帯びる」より「関わる・結びつく」というニュアンスです。
  • ⚑ the picture:これは、絵画一般のことか、ラファエル前派の絵のことか。→AI:ラファエル前派の個々の絵を指していると考えられます。
⛾ ここで著者は、ラファエル前派の細部描写を詩的意味において評価しています。

3-19-1
     But to those painters who do not attempt "painted poetry," but seek in painting a poetry of its own, a visual poetry, this excessive finish (as it is called) is irksome, as it mars the expression of those qualities in vision they wish to express. Finish in art has no connection with the amount of detail in a picture, but has reference only to the completeness with which the emotional idea the painter set out to express has been realised.
試訳 しかし、「描かれた詩」を描こうとはせず、絵画独自の詩、見る詩を実現しようとしている画家にとっては、過度の仕上げ(そう言われている)はうんざりする。画家が表現しようとする見えることの特性の表現を損なうからである。美術における完成度とは、絵の中の細部の量とは係わりがない。ただ、画家が表現しようとした感情がどれほど徹底して描かれているかにのみ関係する。
修正後 しかし、「描かれた詩」を目指すのではなく、絵画独自の詩、見る詩を追求する画家にとっては、過度の仕上げ(そう言われている)はうんざりする。表現しようとする見えることに固有の表現力が損なわれるからである。美術における完成度とは、絵の中の細部の量とは係わりがない。ただ、画家が表現しようとした感情がどれほど徹底して描かれているかにのみに関係する。


Plate VIII.
STUDY FOR A PICTURE
 In red conté chalk and white pastel rubbed on toned paper.
図版 VIII.
絵画のための習作
 試訳 淡い着色紙にレッドコンテチョーク ホワイトパステルを塗り重ねる
修正後 淡い着色紙にレッドコンテチョーク ホワイトパステルを擦り重ねる
  • "rubbed" は「塗り重ねる」より「こすりつける」「擦り込む」の方が原文に近いと思います。
⛾ レッドコンテチョーク:コンテのことか?第20章「画材」の記述を参考に整理すると、
レッドチョーク(red chalk)は天然の土のナチュラルレッドチョーク(natural red chalk)とコンテ社が製造す人工のものがあり、レッドコンテチョークはこの人工のレッドチョークを言っているのだと思われます。

3-20-1
{47}     The visual blindness of the majority of people is greatly to be deplored, as nature is ever offering them on their retina, even in the meanest slum, a music of colour and form that is a constant source of pleasure to those who can see it. But so many are content to use this wonderful faculty of vision for utilitarian purposes only.
試訳 多くの人が見えるということに無知なのは残念なことである。自然は網膜に絶えず色と形の音楽をとどけ、それが見える者にとっては不断の喜びの源となる。みすぼらしいスラムにおいてさえ変わるところがない。ところが、大多数の人は、この見えるという素晴らしい能力を単に実用目的に用いるだけで満足している。
修正後 (修正なし)
  • AI:"is greatly to be deplored"(大いに嘆かわしい)の「greatly」が「残念なことである」では少し弱い印象があります。

3-20-2
It is the privilege of the artist to show how wonderful and beautiful is all this music of colour and form, so that people, having been moved by it in his work, may be encouraged to see the same beauty in the things around them. This is the best argument in favour of making art a subject of general education: that it should teach people to see.
試訳 この色と形の音楽がどんなに素晴らしく美しいものかを示すのは、画家の特典ではないか。人々が画家の作品に表れたこの音楽に感動し、周囲の物に同じ美しさを見るようになる。これが一般教育に芸術の科目を設けることの最大の論拠と言える。つまり、芸術をとおして見ることを教えることができるのである。
修正後 この色と形の音楽がどんなに素晴らしく美しいものなのか、それを示すのは画家の特権である。人々が画家の作品に表れたこの音楽に感動し、周囲の物に同じ美しさを見るようになるかもしれない。これが一般教育に芸術の科目を設けることを支持する最大の論拠と言える。つまり、芸術は、見ることを教えるべきなのである。

3-20-3
Everybody does not need to draw and paint, but if everybody could get the faculty of appreciating the form and colour on their retinas as form and colour, what a wealth would always be at their disposal for enjoyment! The Japanese habit of looking at a landscape upside down between their legs is a way of seeing without the deadening influence of touch associations.
試訳 皆が絵を描く必要はないが、もし誰もが網膜に写った形と色を形と色として見ることができる能力を身につけたなら、素晴らしい富を思いのままに楽しめる。日本の風習に、股の間から逆さまに景色を見るというのがあるが、この能力を弱める触覚にまつわる影響を断って見る一つの方法である。
修正後 皆が絵を描く必要はないが、もし誰もが網膜に写った形と色を形と色として見ることができる能力を身につけたなら、素晴らしい富を思いのままに楽しめる。日本の風習に、股の間から逆さまに景色を見るというのがあるが、触覚にまつわる影響を断って見る一つの方法である。
  • ⚑ what:感嘆文の直訳を避けました。
  • ⚑ the deadening influence of touch associations:少し意訳しました。
  • AI:"the deadening influence" の "deadening"(麻痺させる・鈍らせる)のニュアンスが「触覚にまつわる影響を断って」では薄れています。「触覚的な連想が視覚を鈍らせる影響を排して」とするとより原文に近くなります。
  • AI:"touch associations"(触覚的な連想)が「触覚にまつわる影響」と訳されており、"associations"(連想)という重要な概念が省かれています。この章の主題である「触覚と視覚の連携」という文脈では「触覚的な連想」と明示する方が適切です。

3-20-4
Thus looking, one is surprised into seeing for once the colour and form of things with the association of touch for the moment forgotten, and is puzzled at the beauty. The odd thing is that although thus we see things upside down, the pictures on our retinas are for once the right way up; for ordinarily the visual picture is inverted on the retina, like that on the ground glass at the back of a photographic camera.
試訳 このように覗くと、驚いて一瞬、触覚にまつわることが頭から離れて物の色と形が見え、美しさに愕然とする。おかしなことに、逆さまに見ているにもかかわらず、人の網膜の像はその時は正しい向きになる。普通は、画像は網膜上で、写真機の後のすりガラスに写った像のように逆さまになっている。
修正後 このように覗くと、驚いて一瞬、触覚にまつわることが頭から離れて物の色と形が見え、美しさに愕然とする。おかしなことに、逆さまに見ているにもかかわらず、人の網膜上の像は初めて正しい上下になる。通常は、画像は網膜上で、写真機の後のすりガラスに写った像のように逆さまになっているから。
  • AI:"for once" は「その時は」より「初めて・珍しく」というニュアンスがあります。「珍しくも正しい向きになる」とするとより原文に近くなります。
⛾ スピードは、何によって日本人の股のぞきを知ったのでしょう。遠くは小野小町の天橋立の股のぞきから、近くは「股のぞき効果」の研究によるイグ・ノーベル賞の受賞まで日本人の股のぞき好きは連綿として続いています。

3-21-1
To sum up this somewhat rambling chapter, I have endeavoured to show that there are two aspects from which the objective world can be apprehended. There is the purely mental perception founded chiefly on knowledge derived from our sense {48} of touch associated with vision, whose primitive instinct is to put an outline round objects as representing their boundaries in space.
試訳 いささか纏まりのないこの章を要約すると、私は、対象世界を捉えるには二つの見方があることを示そうとしてきた。純粋に観念的な認識があり、それは視覚と結びついている触覚から得た知識に主に基づいている。その原始的な本能により、空間中にある物の境界を示すために、物の周りに輪郭線をひくことになる。
修正後 いささか纏まりのないこの章を要約すると、私は、客観世界を捉えるには二つの見方があることを示そうとしてきた。純粋に観念的な認識があり、それは視覚と結びついた触覚から得た知識に主に基づいている。その原始的な本能は、空間中にある物の境界を示すため、物の周りに輪郭線をひくことになる。
⚑ the purely mental perception:「純粋に観念的な認識」と訳してみました。
⚑ whose:先行詞は何か?

3-21-2
And secondly, there is the visual perception, which is concerned with the visual aspects of objects as they appear on the retina; an arrangement of colour shapes, a sort of mosaic of colour. And these two aspects give us two different points of view from which the representation of visible things can be approached.
試訳 ふたつめに視覚的な認識があって、それは網膜に写る対象の見え方に関係している。つまり色を持った形の配列、一種の色のモザイクとして捉えられるものである。この二つの見方によって、見えるものの表現に取り組む際の異なる視点が生じる。
修正後 ふたつめに視覚的な認識があって、それは網膜に映る対象のそのままの姿に関係している。つまり色の形の配列、いわば一種の色のモザイクとして捉えられるものである。この二つの見方によって、見えるものを表現する際の異なるふたつの視点が生じる。
  • AI:"As they appear on the retina"(網膜に映るそのままの姿)「網膜に写る対象の見え方」でも正解ですが、Speedがここで言いたいのは、脳が解釈する前の「生(なま)の視覚データ」のことです。「映るそのままの姿」や「映るがままの状態」とすると、前節の「知識(触覚)」との対比がより鮮明になります。
  • AI:"An arrangement of colour shapes"(色彩の形の配列)「色を持った形」でも良いですが、専門用語的には「色面(しきめん)の構成」といったニュアンスです。ここはシンプルに「色彩の形の配列」とすることで、形そのものが色でできているという感覚が伝わります。

3-22-1
     When the representation from either point of view is carried far enough, the result is very similar. Work built up on outline drawing to which has been added light and shade, colour, aerial perspective, &c., may eventually approximate to the perfect visual appearance. 
試訳 どちらの見方で描写しても、徹底すれば、結果はとても似たものになる。輪郭で描かれた作品に明暗、色、空気遠近法などが加わると、結局は完全な視覚像に近づいてくる。
修正後 どちらの見方で描写しても、徹底すれば、結果はとても似たものになる。輪郭で描かれた作品に明暗、色、空気遠近法などが加わえていくと、結局は完全な視覚像に近づけることができる。
  • AI:"may eventually" の "may"(かもしれない)という推量のニュアンスが「結局は~近づいてくる」では薄れています。

3-22-2
And inversely, representations approached from the point of view of pure vision, the mosaic of colour on the retina, if pushed far enough, may satisfy the mental perception of form with its touch associations
試訳 反対に、純粋な視覚的な見方、つまり網膜上の色のモザイクの見方から取り組んでも、一貫すれば、そこに触覚に纏わるものが生まれて、観念的な認識を満足させるだろう。
修正後 反対に、純粋な視覚的な見方、つまり網膜上の色のモザイクの見方から取り組んでも、十分突き詰めれば、そこに触覚に纏わるものが生まれてきて、観念的な認識を満足させるかもしれない。
⚑ with its touch associations:ここも意訳しました。

3-22-3
And of course the two points of view are intimately connected. You cannot put an accurate outline round an object without observing the shape it occupies in the field of vision. And it is difficult to consider the "mosaic of colour forms" without being very conscious of the objective significance of the colour masses portrayed
試訳 もちろん二つの見方は密接に結びついている。視野の中で対象が占める形に注意を払わないと、その周囲に正確な輪郭線を引くことはできない。また、色のマッス(量塊)で描かれた形の具体的意味をはっきりと意識せずに「色の形のモザイク」を考えるのは困難である。
修正後 もちろん二つの見方は密接に結びついている。視野の中で対象が占める形に注意を払わないと対象の周囲に正確な輪郭線を引くことはできない。また、色のマッス(量塊)で描かれた形の具体的意味をはっきりと意識せずに「色の形のモザイク」を考えるのは困難である。
⚑ the objective significance of the colour masses portrayed:「色のマッス(量塊)で描かれた形の具体的意味」としたが、自信がありません。

3-22-4
But they present two entirely different and opposite points of view from which the representation of objects can be approached. In considering the subject of drawing I think it necessary to make this division of the subject, and both methods of form expression should be studied by the student. Let us call the first method Line Drawing and the second Mass Drawing. 
試訳 しかし、この二つは、対象の描写に取り組む際の対極のものの見方を示している。素描の学習を考えるにあたっては、この問題を区別する必要があると私は考えており、両方の形の表現方法とも学生は学ぶべきである。一番目の方法を「線による素描」、二番目を「マッスによる素描」と呼ぼう。
修正後 しかし、この二つは、対象の描写に取り組む際の対極のものの見方を示している。素描の学習を考えるにあたっては、この問題を区別する必要があると私は考えており、学習者は両方の形の表現方法とも学ぶべきである。一番目の方法を「線による素描」、二番目を「マッスによる素描」と呼ぼう。
  • 「学生」は "student" の訳ですが、この文脈では絵を学ぶ人という意味で「学習者」あるいは「学ぶ者」とする方が原文のニュアンスに近いかもしれません。ただし「学生」でも十分自然です。
3-22-5
Most modern drawing is a mixture of both these points of view, but they should be studied separately if confusion is to be avoided. If {49} the student neglects line drawing, his work will lack the expressive significance of form that only a feeling for lines seems to have the secret of conveying; while, if he neglects mass drawing, he will be poorly equipped when he comes to express form with a brush full of paint to work with.
試訳 現代の素描の殆どは、この二つの見方が混在している。しかし混乱を避けようとするならば別々に学んだ方がいい。学生が線による素描を軽視すると、その作品から形が持つ表現力に富んだ意味が失われる。それを伝えうる鍵を持つのは線に対する感情をおいて他にない。一方、量による素描を疎かにすると、絵具をつけた筆を使って形を表現するときになって、その能力が足りないことになるであろう。
修正後 現代の素描の殆どは、この二つの見方が混在している。しかし混乱を避けるためには別々に学んだ方がいい。線による素描を軽視すると、その作品は形が持つ表現力を欠くことになる。それを伝えうる鍵を持つのは線に対する感覚をおいて他にないからである。一方、量による素描を疎かにすると、絵具をつけた筆を使って形を表現する段になって、十分な準備ができていないことになる。
  • AI:"a feeling for lines" 「感情」より「感覚」の方が原文に近いと思います。"feeling for" は「~に対する感覚・センス」というニュアンスです。
  • AI:「であろう」は法則・習性のwillと読むならば「になる」とする方が厳密です。→⚑ ここでは未来の意味を少し含むと見た「であろう」と訳した→AI:あなたの判断は正しいと思います。
⚑ a brush full of paint:絵具をたっぷりつけた筆?

ここで第3章は終わりです


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